なぜ一人暮らしをするのかよく聞かれたので、自分が何を思い考えていたのか探ってみた。

一人暮らし、してみたいなとはずっと思ってはいた。

思ってはいたけれど踏み込まなかった。それはたぶん、親の力を借りて生きていたかったから。というとすねかじりのように聞こえるけど、まあ間違ってはいないかなとも。親がいると、自分でやることなんてないから。全部やってくれるから。

親の庇護下で生きてきた私はなかなかそこから動こうとしなかった。

ぬくぬくとその中で育った私が急に一人暮らしに踏み込んで、周囲の人ももちろん家族も驚いていたし、自分でも驚いた。「どうしたの急に」「なんで一人暮らし始めようとしたの」みんなにきかれた。

「いや、わかんないっす」というのが正直な答えなのだけど、みんな納得はしてくれないだろうから適当な理由を答えておいた。理由の一端にはなるであろうことなので嘘はついていない。ポリシーに反するので。

そんなわけで、自分の気持ちにも考えにも直ぐにピンとこない私なので、今回じっくり考えてみた。一人になりたい瞬間は覚えているので、そこから色々と手探りで(こじつけのようだが)理由に漕ぎ着くことができたように思う。

今後、一人になった時に思い返せるように今の感覚を残しておこうと思う。

 

一人暮らしをしようと思ったのは、一人になりたかったから。

実家にはもちろん一人部屋はある。ドアを閉めてそこに閉じこもることもできる。けど、限界はある。母親は家族の時間を大切にしたい人であるので、あまり一人で部屋にこもることをよく思っていない節があった。それは私もわかる。ので、日中はできるだけ部屋の扉を閉めないことにしていた。

そうすると、(我が家は一階のみなので)廊下から部屋の中を見ることができる。更に言えば、身を乗り出して部屋の中に干渉することもできる。それがきつかった。私の部屋は私だけのものであって、ゲームをしたり、本を読んだり、映画を見たり、そうしたことは「ひとり」でやりたいので少しでも見られているとわかると凄く嫌な気持ちになった。何もやましいことはしていないけれど、監視下に置かれている状況のようでつらいなと感じるのだ。完璧な一人というのは難しいけれど、ちらちらと窺われているとわかると落ち着かない。

更に言えば、部屋の中にあまり入って欲しくない。先にも言った通り「私の部屋」というスペースなので、他に人が入る隙間はないのである。それでも、何かしらの理由で入ってくることはある。お恥ずかしながら、私はすねかじりだ。ゴミ集めは父が行なっているので部屋に入ってきて私の部屋で出たゴミを収集する。やってもらっている身で何を言っているのかと思うが、それが嫌だった。「見られている」ということがわかるからだ。

なんなら父は文句を言いながらも全て自分でやろうとする。食器洗いや洗濯や風呂掃除等……こちらの時間配分もあるし、今やっていることを終えてからやろうという場合もあるだろうがそんなことはお構い無し。主婦からしたらとてもいい旦那に感じるのかもしれない。私も思う。けれど何に対しても一言多いのである。何かしら文句のような一言を付け加えてこなすのだ。そうなると母も怒りのボルテージが高まる。あとで自分でやるよと言っているにも関わらず、父自ら進んでやっておいてなぜ小言を言われなければならないのか。それを感じる私も次第に心が荒んでいくのである。覚えなくてもいいはずの怒りをなぜ覚え始めなくてはならないのか……。

甘やかされすぎて育ったのでやってもらうのが当たり前と思ってしまうのが怖く、まだこの考えがあるうちに家を出ようと思ったことも理由の一つである。

 

ここまでは理不尽だけれど彼らの子どもゆえに感じること。(本当に理不尽な理由で自分が怖い)

以下は私の超個人的な恐怖というか嫌悪の話。

 

まず、私は人に触られることが苦手であるということ。接触恐怖症までは全くいかない。そちら方面の人からしたら「お前なんて全然」と一蹴されてしまうだろう。電車も乗れるし、なんならライブ会場だって行っているし、同性の友人であればハグだってなんのその。

でも、気持ちが悪いと思う瞬間もある。それは、過去に性的なことで嫌な思いをしたことが大きいなと思っている。小学生時から今まで、ふと思い出したようにそういったことに巻き込まれるので、恐ろしさが前のめりにでてしまって未だに声を大にして助けを求めた試しがない。その抑圧かなんなのかは不明だが、特に異性との距離が近いと急に不安になる。とは言いつつも、満員電車にも乗れているのでそこまで深刻ではないのだろうけど、嫌な気持ちはそこらの人間より少し上だろう。

それは自分の親に向かってもあった。

母はもともとボディタッチが多い人で、会社での友人たちとの話を再現する時に私の体を触ったり掴んだり、酔った時には叩いたり、私が寝転がって本を読んでいると背中を叩いたり。(ラジバンダリ)

それすら嫌な気持ちになっていたわけだけれど、父は父なりに気を使ってくれていた。けれどそれがダメだった。

我が家は洗面台と脱衣所が同じ場所なのだが、私がお風呂に入るため脱衣所にいるときは父は様子を窺って入ってこない。子どもに気を使って、外で待ってくれているのだろうことは私もわかる。けれど、それ以上に脱衣所近くの廊下に留まって中の様子を音で窺うという行為事態がもう……むり……という。本当にもうしわけないのだけれど、気持ちが悪いと思ってしまう。

映画やドラマやAVじゃないのだから親子以上の何があるのかと思うかもしれないが、全く本当に父が子どもの裸体を見たからといって何が起こるとも私は思っているわけではないが、それとこれとは違う。そう思っていようが考える事をやめる事もできない。本当に嫌な子どもに育ってしまったなと思う。

なぜそんなことを考えてしまうのか。理由はもう一つある。

話しにくいことだが、私は小さい頃に両親の情事の現場に居合わせてしまったことがある。実際に見たわけではない。両親が無理やり見せたわけでもない。要因は、私が夜中にトイレに行きたくなってしまったが一人で行かなかったことと、小さかったのでベッドルームが母と一緒だったことと、その行為の意味を知ってしまった年齢ではあったこと。小さい頃から知識欲的なものが強かったことが仇となったのか……(かっこよくしめたい)。

小さい時(小さいとは具体的にいくつぐらいなのかわからないが、いくつになっても変わらないのではと思うが)に自身の親の性交を見てしまうことは大きなトラウマになりかねない。今回の自分がそれに値するのかはわからないけれども、そこそこ似たような傾向なのではないかなと。とは言いつつ、その行為で私たちは生まれてくるわけだし、悪いことではないので咎めることはしないけど。

両親に向かって色々と言ってきたが、嫌いなことなどない。だいすきだし、ここまで私を育ててくれて、これからも親子としての縁は切れることはないのだし、いつまでも彼・彼女らは特別な存在であり続ける。

 

そして忘れてはいけない私の「兄弟」。こいつがまた厄介なりつつある。

すきですきで、目に入れても痛くないというのはこういうことを言うのだろうなと思うほどだった。それが今では仕事を辞めて職探しをするわけでもなく、日がな一日家で何をしているのかゴロゴロ過ごし、夜は誰とどこで何をしているのか帰らないこともあり、匂いが嫌いだと豪語していたタバコを吸い始め部屋の中を煙で充満させ、やるべきこともやらず今後どうするのか何も考えていないことうけあい。

なぜ、こんなことに? 私は心配だよ……。しかし、こちらから何か言おうものなら自分の部屋へ逃げてしまうか、イヤホンで塞いでしまうので気力も失せる。

これが最後の理由になる。自分はこれも嫌なのではと気がついたのが一番最後でもある。

はじめに就職した先が結構なブラックのように見えていたので、そこを退社したのは良い選択だと思う。その後、しばらく遊ぶことも良いと思った。数ヶ月抑圧された分、楽しいことへ心血を注ぐことも大事だろう。それが長い。長すぎる。そろそろ職探しを真剣に始める頃合いではないのかと思い始め伝えるが、言った通り聞く耳をもたない。面倒くさいという理由で全てを無にする奴なのだ。面倒くさがりな私よりタチが悪い面倒くさがりだ。仕事をやめてもしばらくお金をもらえる制度があるよと教えてもらったにも関わらず動かない時には、さすがに私も呆れて物を言う事を諦めた。

もちろん両親も口を酸っぱくしているのだが、本人に動く意思がないのだから何を言っても無駄なわけで……。本当のすねかじり登場である!!(笑うとこ)

とりあえずは貯金を切り崩して遊び呆けているわけなので、お金が尽きる頃にどんな行動を取るのか最近案じるようになってきた。稲川淳二ばりに怖いなぁ、怖いなぁと思っているわけだけれども、それまでに何かで危機を感じてほしいなと思わずにはいられない。

そんな「兄弟」への思いが蓄積されてなぜか私のストレスになっているようで。なにかと体への不調が多くなってきてしまい(このほかにも家族とは別で束縛の強い環境下に置かれていたこともあるとは思うのだが、その難はなくなったので)、この子のそばにいるのをやめてみようと思った次第。

もう少し他の理由をつけると、父と「兄弟」の自慰的場面にも出くわしたことがあり、父の場合は彼の気の緩みというか彼に個人的部屋がないので可哀想なのではあるけれども……。「兄弟」は個別に部屋が与えられているにも関わらず人の集う場所でコソコソしていた訳で。その行為自体が嫌なわけではないし、やめろということもないけれど(女の子だってするのだろうし)、少し場所を弁えてくれよという話。

 

以上が理由ではないかなと思っている。

合ってるかどうかはわからん。知らんけど、というやつ。

でもまぁ、もしそうだったとしても家族がすきなことには変わりないし、こんな年齢になるまでお家に置いてくれてありがとうという思いがとても強い。ほんっとうに甘やかされて育ったと思うので、これからの一人暮らし不安しかないけど、たぶんどうにかなるとは思うし戻ったらまた同じことでモヤモヤ考えることになると思うからね。だからこの理由を文字に書き起こしているわけだし。大丈夫。

この他にも理由がありそうな気がしているのだけれど、きっとそれは小さなことが色々積み重なってモヤッとするものだから、大きい理由にはならないと……思われる……。塵も積もれば……とは言うけれど、そんなの一緒にいればいくらでも出てくることだしキリがないものね。と言えるぐらいにはなっていると信じているので(思春期真っ盛りとはさよならだ)、割り切れていることと思う。