まんじゅうこわい。

人に触られることが怖い「接触恐怖症」。

対象は様々であり、程度も様々であり、なぜそうなってしまったかの理由も様々ある。

前にも書いたかもしれないが、私も人に触られるのが苦手だ。とは言いつつ、直接的な肌の接触がなければ全く問題なく、服の上からであればそこまで嫌悪感はない。触れられる場所にもよるけれども。

普段の生活でも、病院や美容院、会社で強制的に行かされる健康診断などで体に触れられる場面は結構多く、そのどれもがストレスには感じているくらい。強く拒否反応が出るわけではないけれど、他の人が感じるよりも大きいとは思う。

私の場合は触れる相手が異性でも同性でも、付き合いが短いほど嫌悪感が増す。

しかし、矛盾している事に、自分から「私が好きだと思う人」に触るのは好きだったりする。本当に面倒くさく、相手からしたらとんでもない失礼な奴に当たる。

今回はそんな話。

 

 

 

でもまあ、人に触られるの自分大好き!!! なんて人の方が少ないのではないかと思うけどね。満員電車なんてみんな嫌いだろう。パーソナルスペースに有無を言わさずズカズカと入ってきて、果てには夏場の半袖同士で触れ合っちゃったりなんてしたらもう……。背中をゾワゾワと悪寒が走り抜けること間違いない。

私はもちろんそれも嫌いであるし、病院での触診や聴診器、心電図だったりレントゲンを撮る時に手足・背中・腰なんかに触られるのも、果ては美容院でのシャンプーなどなど……そんなものにも嫌な気分になる。

やってもらっているという精神はあるのだけれどね!? 一人じゃできないことをやってくれているという気持ちはある。けれどもうこれはどうにもならない気持ちなのだ。

 

もともとそういう素質があったのかもしれないけれど、小さい頃はとくにそこまで嫌悪を感じる事はなかった。まあ、あまり身体に触れてくる他人が居なかったという事もあるだろうけれども。

しかし、いくつかの要因によりその種が植え付けられていったのだと思われる。

 

まず初めに言えるのは、私が「られていた」過去を持っているから。

前回だったか、その過去の事に関してはたぶん一番詳しく書いているので割愛させてもらうとして、それがあったからこそ自分の身体は恥ずかしいものなのだと、みっともないものなのだと思うことに繋がったし、触れば気分を害すだろうと現在進行形で思うのでいの一番に理由に上がる。

次いで思うのは、子どもの頃から性的対象に置かれることが多かったから。

これからとても嫌なことを書く。性的搾取が嫌いな人は見ないことを強く勧める。私はここでは噓なく書く事と、思った事感じたことはできる限りそのまま書く事を決めているので、書かないことはしない。

 

私は子どもの頃には既に成熟した身体に近かった。

これは、小学校の担任(女性だ)にも言われているので客観的に見た意見に基づいている。確か4年か5年くらいの頃だったと思う。自分のすきな服を着て過ごしていた小学生時代に、直接担任から「貴方は身体の発達が良いから、着る服を選ぶように親にいいなさい」と言われた。小学生に直接である。

言わせてもらうが、えらい露出した服を着ていたわけではない。

確かにミニスカートを履いたりはしていたけれど、思い当たるのはそれくらいで、確かに「成熟」していたので身体のラインが出ていたりはしたのかもしれない。けれど、それを直接子どもに言うか? 面談時に親に伝えるのではダメだったのか? 早急な対応が必要なら電話をしろと思う。今であれば。

その時の私は、周りからはそういう風に思われているのか、見られているのかと思い、とても不愉快な気持ちになった。その担任に対しても。

だからとは言わないが、確かに私は痴漢というものにあう頻度は多かった。小学生から大人に至るまでの学生過程の中で出会わなかった時はないくらいである。

時系列的に覚えている限りザッと書き出すと、町の図書館で知らない男の人に白昼堂々。友達の家に泊まった時に親戚だか友人だかのカップルの男の人に夜中にこっそり。買い物中の私の後ろに張り付くようにして一緒に移動してくる男の人。込み合う電車内で私の真正面に立ち腕を寄せてくる男の人。プール施設で驚くほど大胆に接してきた男の人。電車を待っているガラガラのホームでなぜか後ろに張り付き服を汚していった男の人。夜に友人宅へ向かう際にビックリするほど分かりやすく盗撮してくる男の人。満員電車でピッタリ寄り添ってくる粗末なものを持つ男の人。

などなど。

本当にあった事なので笑えるものなら笑ってほしい。全部が全部違う人だし、私だけでこれだけの倫理観欠如者がいるのかと思うと日本の未来は真っ暗である。

一人一人あったことを詳しく書いてもいいけれど、量が膨大だし、ここでどこまで詳しく書いてもいいのかわからないし、もしここを読んだ人の中に歪んだ人が居れば官能小説になってしまうと思うのでやめておいた。ふんわりとした事しか書かなかったのもそれが理由。痴漢という表現だけでは済まない輩もいるので、本当に性的搾取という言葉がピッタリの紹介である。

とにもかくにも、これだけ時が経っても忘れる事が出来ない記憶の一つになっているこれらのおかげで、私は恐怖を覚えることが一つ増えたわけである。悪い事しかない。

出来心の人もいるだろうし、そういう場面でしか興奮できない人もいるのだろうし、常習犯で感性が麻痺している人もいるだろう。さらに言えば野放しにしてしまっているのは、被害を受けた我々のせいでもある。だから余計に胸が痛い。怖がらずに声をあげていれば変わったのかもしれないが、本当に何も言えない。あとから怖くて悔しくて泣くだけしかできない。仕事に向かう朝に出会ったときは何も身に入らなかった。動揺と気持ちの悪さで当時お付き合いしてた人にすぐさまメールをして心を落ち着けようとした。それでも仕事はしなければならないし、元気を振りまかなければならない。周りが心配するし何があったのか聞かれるのが嫌だったから。ほっといてほしかったから。

今でも電車に乗る時は少し怖い。

人に触るのが嫌なので椅子には極力座りたくないし、満員電車では隅っこに背中を預けていたい。真ん中にふわふわ突っ立ってる時が一番嫌だ。吊革につかまって椅子の前に立っている瞬間が嫌だ。そんな気持ちになる。

それでもこれだけは言える。本当に服装は関係ない。露出過多であろうがなかろうが、やる奴はやる。学生時代、ほとんど露出しなかったし、どちらかといえば男性的な服装が多かったので違いない。期間は短かったが、髪も今よりずっと短くて、本当に男の子だった時もある(バイト先に来た子どもに、お姉さんかお兄さんかどっち? と聞かれた事があるくらい)。それに今年の夏は今まで以上に肌見えがする服を着ていた時もあるけど、夏場全くと言っていいほどなかった。まぁこれに関しては時間帯によるのかもしれないが。

それに比べて最近の電車は良い。コロナ過の時は、より過ごしやすかった。本当に電車に人がいないし、在宅で仕事ができていたので心配することが減った。更に、以前と乗る電車を変えたところ、人が混雑する場面が少なくなり今も快適である。これが新年度になると様相を変えるのでそこが怖いところではあるが。

 

少し脱線したが、私の場合の接触に恐怖を覚える要因になったのは、そんなところかなと思う。

「られていた」過去のせいで男女共に触られるのが怖いし、倫理観欠如人間のせいで心許せる人以外に触られることが怖い。怖いとはいえ、みんな私に触るんじゃねぇ!! などということは一切ない。自分から触れたい人もいるし(言い方に難ありか)、会社の人なら別に何も思わないし、私が一方的に好意を持っている人たちになら特に何を思うところもないし……。それが相手にしっかり伝わるかは別として。

それが誤解を招く事もあるよなと思ってしまうこともあるけれど。

もともと私が好きと思う人には自ら触ってしまう人なので、お酒が入ると気分が良くなってパーソナルスペースが極端に狭くなっていってしまう。その分距離も縮まる。

のではあるが、周りが驚くほどの酒豪なので意識がぶっ飛んだり、羽目を外すこともない。ただいつもより距離感が近いな……と思われるくらいだろう。前に、会社のだいすきお姉さんと飲みに行った時に、最後別れるのが悲しすぎて抱き着いた時にはとても驚かれた後、とてもかわいがってもらえた。最高空間だった。

そういったこともあるので、周りからどういったように見られるのかも考えておくべきだ。お姉さんと爛れた関係だと思われてはいけない。清く正しい、第二のお母さんである。

 

 

 

この話を自分の中で何度も考える場面に立ち会う。

倫理観欠如者たちは、いったい何を考えているのかなと。捕まることなく、何人もの身体を良いようにして、その場から立ち去ったあとは何を思うのだろう。今日も良かったな、などと思ったりするのだろうか。

そんなことを考えてはお腹が重くなる。良い思いをしたなと思ってそれで終わりなのかと思うとやるせない。野放しにしたのが自分だとしても。

そう考えるのと一緒に、思い出す言葉もある。

 

「そういう目的で写真を撮られることに、わたしは特にストレスは感じません。そういう者たちが、現実のわたしを手に入れることは未来永劫ありませんから。せめて写真や妄想くらいは許してあげてもいいでしょう。情けというやつです」

 

雨ちゃんのお言葉……。

これは、彼女がコスプレをして撮影されていた時に、ジュウさまが「オカズ目的として撮られているかもしれないのに、嫌じゃないのか?」と雨ちゃんに聞いた時の返事。

彼女は写真で実害はないけど、性的搾取としては同じ範囲。それを「現実のわたしを手に入れることは未来永劫ない」ですって……。本当に格好いい。だからといって許すという話ではない。私の場合は。雨ちゃんの場合は情けと同意が一応あるにはあるけれど、こっちは一方的に更に実害があるので。今までの人間に対しての言葉として受け取ってほしい。

本書を読み返したときに、改めて胸に刺さった。確かにな。

私の外見だけ良いようにできても、中身はお前のものになんかならないのに可哀想だなということ。そう思うと、過去の嫌な記憶も少し薄らぐように感じた。

もちろん、先にも言ったように許せるわけでもないし、なかったような顔もできないけれど、ふとした瞬間にフラッシュバックして嫌な気持ちに潰されそうになったとしても、この言葉を思い出せば少しだけでも気持ちが前を向けるなと思った次第。私の場合は追随してジュウさまに思いを馳せることができるので最高ですね。

2巻の話が一番すきなんですよね。胸糞すぎて。電カノはどの話も「いい終わり」ではないのがすき。そしてその中で確実に成長しているジュウさまがすき。2巻では子ども好きな一面が見れて、その子とのやり取りが本当に可愛くてさ……子どもすきなのひしひしと感じるし、周りの人たちに対する時と全く違う雰囲気で……すごく……いいです……。弱いって言いながらも人のために動くジュウさまがだいすきだ。一生すき。

 

脱線しすぎでは? 大丈夫?

でも電カノの話したら止まらなくなっちゃうし、本も読みたくなっちゃうんだよね。2巻のいいところとジュウさまのすきなところは筆舌に尽くしがたいから尽くせるまで尽くしたいんだけどさ。

世の中には私のような経験をした人もたくさんいるだろう。もっと酷い体験をして対人恐怖症になる人もいる。一人でしかいられなくなるなんて、あってはいけないことだ。そんな風にできるのも人、それを良い方向へ向けられるのも人。それなら後者であろう。どんな場面であっても。

その点、私は心が強くて助かった。傷つかないと言えばウソだけれど、そうなってしまった人と比べれば通常の生き方ができているだけすごいと思う。親に言ったことも(1件を除いては)ないし、カウンセリングを受けたこともなく、電カノを読んで雨ちゃんの言葉に助けられたくらいで(笑) だからこそ私には読書って大切なものになっていくんだな、なんてことも思ったり……。

これからも過去を引きずって接触に恐怖しながらも、すきな人たちには適度にベタベタしながら生きていくんだろうな。寒くなると人肌恋しくなるって言いますしね(曲解)。夏大好きだけど、完全に寒い季節の方が対人に関してはいいだろうよと思ってしまうな。厚着をするので電車でも人の肌に直接触れたりしないですし。