まんじゅうこわい。

人に触られることが怖い「接触恐怖症」。

対象は様々であり、程度も様々であり、なぜそうなってしまったかの理由も様々ある。

前にも書いたかもしれないが、私も人に触られるのが苦手だ。とは言いつつ、直接的な肌の接触がなければ全く問題なく、服の上からであればそこまで嫌悪感はない。触れられる場所にもよるけれども。

普段の生活でも、病院や美容院、会社で強制的に行かされる健康診断などで体に触れられる場面は結構多く、そのどれもがストレスには感じているくらい。強く拒否反応が出るわけではないけれど、他の人が感じるよりも大きいとは思う。

私の場合は触れる相手が異性でも同性でも、付き合いが短いほど嫌悪感が増す。

しかし、矛盾している事に、自分から「私が好きだと思う人」に触るのは好きだったりする。本当に面倒くさく、相手からしたらとんでもない失礼な奴に当たる。

今回はそんな話。

 

 

 

でもまあ、人に触られるの自分大好き!!! なんて人の方が少ないのではないかと思うけどね。満員電車なんてみんな嫌いだろう。パーソナルスペースに有無を言わさずズカズカと入ってきて、果てには夏場の半袖同士で触れ合っちゃったりなんてしたらもう……。背中をゾワゾワと悪寒が走り抜けること間違いない。

私はもちろんそれも嫌いであるし、病院での触診や聴診器、心電図だったりレントゲンを撮る時に手足・背中・腰なんかに触られるのも、果ては美容院でのシャンプーなどなど……そんなものにも嫌な気分になる。

やってもらっているという精神はあるのだけれどね!? 一人じゃできないことをやってくれているという気持ちはある。けれどもうこれはどうにもならない気持ちなのだ。

 

もともとそういう素質があったのかもしれないけれど、小さい頃はとくにそこまで嫌悪を感じる事はなかった。まあ、あまり身体に触れてくる他人が居なかったという事もあるだろうけれども。

しかし、いくつかの要因によりその種が植え付けられていったのだと思われる。

 

まず初めに言えるのは、私が「られていた」過去を持っているから。

前回だったか、その過去の事に関してはたぶん一番詳しく書いているので割愛させてもらうとして、それがあったからこそ自分の身体は恥ずかしいものなのだと、みっともないものなのだと思うことに繋がったし、触れば気分を害すだろうと現在進行形で思うのでいの一番に理由に上がる。

次いで思うのは、子どもの頃から性的対象に置かれることが多かったから。

これからとても嫌なことを書く。性的搾取が嫌いな人は見ないことを強く勧める。私はここでは噓なく書く事と、思った事感じたことはできる限りそのまま書く事を決めているので、書かないことはしない。

 

私は子どもの頃には既に成熟した身体に近かった。

これは、小学校の担任(女性だ)にも言われているので客観的に見た意見に基づいている。確か4年か5年くらいの頃だったと思う。自分のすきな服を着て過ごしていた小学生時代に、直接担任から「貴方は身体の発達が良いから、着る服を選ぶように親にいいなさい」と言われた。小学生に直接である。

言わせてもらうが、えらい露出した服を着ていたわけではない。

確かにミニスカートを履いたりはしていたけれど、思い当たるのはそれくらいで、確かに「成熟」していたので身体のラインが出ていたりはしたのかもしれない。けれど、それを直接子どもに言うか? 面談時に親に伝えるのではダメだったのか? 早急な対応が必要なら電話をしろと思う。今であれば。

その時の私は、周りからはそういう風に思われているのか、見られているのかと思い、とても不愉快な気持ちになった。その担任に対しても。

だからとは言わないが、確かに私は痴漢というものにあう頻度は多かった。小学生から大人に至るまでの学生過程の中で出会わなかった時はないくらいである。

時系列的に覚えている限りザッと書き出すと、町の図書館で知らない男の人に白昼堂々。友達の家に泊まった時に親戚だか友人だかのカップルの男の人に夜中にこっそり。買い物中の私の後ろに張り付くようにして一緒に移動してくる男の人。込み合う電車内で私の真正面に立ち腕を寄せてくる男の人。プール施設で驚くほど大胆に接してきた男の人。電車を待っているガラガラのホームでなぜか後ろに張り付き服を汚していった男の人。夜に友人宅へ向かう際にビックリするほど分かりやすく盗撮してくる男の人。満員電車でピッタリ寄り添ってくる粗末なものを持つ男の人。

などなど。

本当にあった事なので笑えるものなら笑ってほしい。全部が全部違う人だし、私だけでこれだけの倫理観欠如者がいるのかと思うと日本の未来は真っ暗である。

一人一人あったことを詳しく書いてもいいけれど、量が膨大だし、ここでどこまで詳しく書いてもいいのかわからないし、もしここを読んだ人の中に歪んだ人が居れば官能小説になってしまうと思うのでやめておいた。ふんわりとした事しか書かなかったのもそれが理由。痴漢という表現だけでは済まない輩もいるので、本当に性的搾取という言葉がピッタリの紹介である。

とにもかくにも、これだけ時が経っても忘れる事が出来ない記憶の一つになっているこれらのおかげで、私は恐怖を覚えることが一つ増えたわけである。悪い事しかない。

出来心の人もいるだろうし、そういう場面でしか興奮できない人もいるのだろうし、常習犯で感性が麻痺している人もいるだろう。さらに言えば野放しにしてしまっているのは、被害を受けた我々のせいでもある。だから余計に胸が痛い。怖がらずに声をあげていれば変わったのかもしれないが、本当に何も言えない。あとから怖くて悔しくて泣くだけしかできない。仕事に向かう朝に出会ったときは何も身に入らなかった。動揺と気持ちの悪さで当時お付き合いしてた人にすぐさまメールをして心を落ち着けようとした。それでも仕事はしなければならないし、元気を振りまかなければならない。周りが心配するし何があったのか聞かれるのが嫌だったから。ほっといてほしかったから。

今でも電車に乗る時は少し怖い。

人に触るのが嫌なので椅子には極力座りたくないし、満員電車では隅っこに背中を預けていたい。真ん中にふわふわ突っ立ってる時が一番嫌だ。吊革につかまって椅子の前に立っている瞬間が嫌だ。そんな気持ちになる。

それでもこれだけは言える。本当に服装は関係ない。露出過多であろうがなかろうが、やる奴はやる。学生時代、ほとんど露出しなかったし、どちらかといえば男性的な服装が多かったので違いない。期間は短かったが、髪も今よりずっと短くて、本当に男の子だった時もある(バイト先に来た子どもに、お姉さんかお兄さんかどっち? と聞かれた事があるくらい)。それに今年の夏は今まで以上に肌見えがする服を着ていた時もあるけど、夏場全くと言っていいほどなかった。まぁこれに関しては時間帯によるのかもしれないが。

それに比べて最近の電車は良い。コロナ過の時は、より過ごしやすかった。本当に電車に人がいないし、在宅で仕事ができていたので心配することが減った。更に、以前と乗る電車を変えたところ、人が混雑する場面が少なくなり今も快適である。これが新年度になると様相を変えるのでそこが怖いところではあるが。

 

少し脱線したが、私の場合の接触に恐怖を覚える要因になったのは、そんなところかなと思う。

「られていた」過去のせいで男女共に触られるのが怖いし、倫理観欠如人間のせいで心許せる人以外に触られることが怖い。怖いとはいえ、みんな私に触るんじゃねぇ!! などということは一切ない。自分から触れたい人もいるし(言い方に難ありか)、会社の人なら別に何も思わないし、私が一方的に好意を持っている人たちになら特に何を思うところもないし……。それが相手にしっかり伝わるかは別として。

それが誤解を招く事もあるよなと思ってしまうこともあるけれど。

もともと私が好きと思う人には自ら触ってしまう人なので、お酒が入ると気分が良くなってパーソナルスペースが極端に狭くなっていってしまう。その分距離も縮まる。

のではあるが、周りが驚くほどの酒豪なので意識がぶっ飛んだり、羽目を外すこともない。ただいつもより距離感が近いな……と思われるくらいだろう。前に、会社のだいすきお姉さんと飲みに行った時に、最後別れるのが悲しすぎて抱き着いた時にはとても驚かれた後、とてもかわいがってもらえた。最高空間だった。

そういったこともあるので、周りからどういったように見られるのかも考えておくべきだ。お姉さんと爛れた関係だと思われてはいけない。清く正しい、第二のお母さんである。

 

 

 

この話を自分の中で何度も考える場面に立ち会う。

倫理観欠如者たちは、いったい何を考えているのかなと。捕まることなく、何人もの身体を良いようにして、その場から立ち去ったあとは何を思うのだろう。今日も良かったな、などと思ったりするのだろうか。

そんなことを考えてはお腹が重くなる。良い思いをしたなと思ってそれで終わりなのかと思うとやるせない。野放しにしたのが自分だとしても。

そう考えるのと一緒に、思い出す言葉もある。

 

「そういう目的で写真を撮られることに、わたしは特にストレスは感じません。そういう者たちが、現実のわたしを手に入れることは未来永劫ありませんから。せめて写真や妄想くらいは許してあげてもいいでしょう。情けというやつです」

 

雨ちゃんのお言葉……。

これは、彼女がコスプレをして撮影されていた時に、ジュウさまが「オカズ目的として撮られているかもしれないのに、嫌じゃないのか?」と雨ちゃんに聞いた時の返事。

彼女は写真で実害はないけど、性的搾取としては同じ範囲。それを「現実のわたしを手に入れることは未来永劫ない」ですって……。本当に格好いい。だからといって許すという話ではない。私の場合は。雨ちゃんの場合は情けと同意が一応あるにはあるけれど、こっちは一方的に更に実害があるので。今までの人間に対しての言葉として受け取ってほしい。

本書を読み返したときに、改めて胸に刺さった。確かにな。

私の外見だけ良いようにできても、中身はお前のものになんかならないのに可哀想だなということ。そう思うと、過去の嫌な記憶も少し薄らぐように感じた。

もちろん、先にも言ったように許せるわけでもないし、なかったような顔もできないけれど、ふとした瞬間にフラッシュバックして嫌な気持ちに潰されそうになったとしても、この言葉を思い出せば少しだけでも気持ちが前を向けるなと思った次第。私の場合は追随してジュウさまに思いを馳せることができるので最高ですね。

2巻の話が一番すきなんですよね。胸糞すぎて。電カノはどの話も「いい終わり」ではないのがすき。そしてその中で確実に成長しているジュウさまがすき。2巻では子ども好きな一面が見れて、その子とのやり取りが本当に可愛くてさ……子どもすきなのひしひしと感じるし、周りの人たちに対する時と全く違う雰囲気で……すごく……いいです……。弱いって言いながらも人のために動くジュウさまがだいすきだ。一生すき。

 

脱線しすぎでは? 大丈夫?

でも電カノの話したら止まらなくなっちゃうし、本も読みたくなっちゃうんだよね。2巻のいいところとジュウさまのすきなところは筆舌に尽くしがたいから尽くせるまで尽くしたいんだけどさ。

世の中には私のような経験をした人もたくさんいるだろう。もっと酷い体験をして対人恐怖症になる人もいる。一人でしかいられなくなるなんて、あってはいけないことだ。そんな風にできるのも人、それを良い方向へ向けられるのも人。それなら後者であろう。どんな場面であっても。

その点、私は心が強くて助かった。傷つかないと言えばウソだけれど、そうなってしまった人と比べれば通常の生き方ができているだけすごいと思う。親に言ったことも(1件を除いては)ないし、カウンセリングを受けたこともなく、電カノを読んで雨ちゃんの言葉に助けられたくらいで(笑) だからこそ私には読書って大切なものになっていくんだな、なんてことも思ったり……。

これからも過去を引きずって接触に恐怖しながらも、すきな人たちには適度にベタベタしながら生きていくんだろうな。寒くなると人肌恋しくなるって言いますしね(曲解)。夏大好きだけど、完全に寒い季節の方が対人に関してはいいだろうよと思ってしまうな。厚着をするので電車でも人の肌に直接触れたりしないですし。

小学生から高校時代に見ていたアニメが、きっと今の私を作っている部分もある。

最近、ふとした拍子に見つけた過去のニュース記事を読んだ。

それは当時も気になって読んだもので、ジャングルポケットの斎藤さんの記事である。彼の幼少期のいじめの話を書いたもので、同じ立場を体験した私の心にもグサグサと刺さる内容だった。

世の中には、いじめられていたけどもう相手をどうこう思ってはいないという人の声が多く聞こえるが、私は到底そんな風には思えない。斎藤さんの心からの言葉に胸打たれ、同じ思いを最後まで持っていた人間である。

絶対に許せないし、私が齊藤さんの立場なら「あれって俺の事?」と確認の連絡だけをよこした奴の顔写真や名前から知っているあれこれを全て公共の電波に乗せて流通させてやりたいくらいだ。事実確認の前に謝罪だろ。自分の事かもと少なからず思ってるならお前の思う通りだ謝罪しろ。そのからっぽの頭の中が見えるようになるまで地面に額を擦り付けて謝れ。

そんなお話ですよ、という過激派の言葉からのはじまり。

 

今回の題名がアニメの話風だけれど、話したいのは自分の過去なのであしからず。

 

学生時代に見ていて心に残るアニメとはなんだったのだろう。

デジモンとか? エヴァとか? シリーズものだとガンダムとかコードギアス? 夏目とかは長期連載みたいなものかな……。

すきなものってたくさんあって一つには絶対に絞れないのだけど、アニメソングだったら今でも「カサブタ」なんですよねー。ガッシュベルは話も良かったし、カサブタが最高だった。歌詞がよすぎるものな。カラオケで歌う時に泣いてしまうもの。

作ってくれた人すごい。ノーベル賞。「大人になれない僕らの自由の芽を摘み取らないで」だぞ? 天才か??

 

アニメの曲ってなかなかに頭にこびりついているもので、うわ聴いたことある! と思うものがほとんどアニメだった時期、中学……。

その中でポルノグラフィティの「メリッサ」と言えば何が思いつくだろうか。

 

そう、「鋼の錬金術師」である。

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メリッサじゃなくてごめんね。

これ見ながら泣いてしまったよねー。何度も見ちゃう。

ホーエンハイムさんのところずるいなと思うわけですよ。家族愛・無償の愛に弱いの知ってるので、余計に。

 

ハガレン見てたのいつだったんだろう。

FAは見てなかった。初期のオリジナルしか見てなかったわけだけど、「勘のいいガキは嫌いだよ」がとてつもなく怖かった記憶がある。トラウマもの。

そこまで頭もよくないし、ふにゃふにゃの考え方しかできなかった私が見ていても「すごいかっこいい頭がいい面白い」と思って見ていたので、私の母がハマるのもわかる。大人になって母への誕生日プレゼントで全巻一気に買ったわけだけど、そこで初めて荒川さんが描いた物語を読んだわけ。

いや何て深い。考えさせられる話なのか。一つ一つの言葉が尊い

動画にもある通り、名言が非常に多い。連載漫画なので当たり前なのかもしれないけど、読んだ人ひとりひとりに突き刺さる言葉が絶対にあるぐらいにぼこぼこある。いい意味で読むのが疲れるし、頭がふわふわしてくるのだけど、考えている時間が楽しい。

合わせてキャラクターも魅力的で(話が良いのでそりゃそうだ)、主人公のエドワードはもちろん、小さい頃の私はロイ・マスタングが好きではあった(今も好き♡)。

しかし! 今はキンブリーだいすきなんですよねー♡♡ 自分の信念を貫く男、すきしかない。あとはアームストロング少佐とマルコー先生がすき。誰よりも優しくて大きくて強い少佐と、一番人間臭くて、報いも受けてそれでも最後まで生きてくれた先生がすき。

とはいえ、他のファンの人と比べてしまえば読み込みの浅い私など淘汰されてしまうのは目に見えているので、感想を書いたり内容の深読みなんてことはしない。というかできない。

では何を話すか。

 

動画を見てくれた人、または鋼の錬金術師を知っている人はどこの名言がすきだろう。

その理由も合わせて是非聞きたいし、語りたいなーという気持ちもあるのだけれど、ここは私の場なので一人語りさせてもらうしかない! いやぁ困ったなー!

本音を言えば漫画全部読めと言いたいところではある。というか言っている。

それでもやはり一番最初にして最後でもある

【痛みを伴わない教訓には意義がない 人は何かの犠牲なしに何も得る事などできないのだから しかし、それを乗り越え自分のものにしたとき…人は何にも代えがたい 鋼の心を手に入れるだろう】

がずーーーーーーーっと心に残った。

 

自分にずっと言い聞かせている言葉がある。

「私は鋼の心を持ってるから大丈夫」

……いやホントに。口にしないだけで本当に思ってるんだなこれが。しかも原作を見てない学生時に(オリジナルアニメの最期を覚えていないのでもうしわけないのだが)。

これというのは、私が「られていた」時期の話にまで遡る。

ことの始まりは連れションというやつ。一緒にトイレまで行って二人して個室を占拠し、その中で携帯の画面いっぱいのアイドルグループ(いやアイドルではないのかあのグループは?)の画像を見せられ、興味もない私にどの子が好きだのどこが好きだのとか頭の隅にも残らない話をさせられていた。

一・二回付き合っていたが、このままでは私の心が死ぬと思ったし、用もないのに二人で個室にこもって邪魔だし、こんな時間を過ごすなら本を読んでいた方が有益だと思い誘いを断ることにした。

それが彼女のプライドを傷つけたのだろう、それから約5年間は彼女から嫌われ続けたし、彼女は学校のヒエラルキーでは上位の女子だったので彼女の取り巻きは私を避けたり攻撃をするようになった。

それだけじゃなく、私の身体的な事もあっていじめがあったわけだけど、あそこが始まりだったのでは? と思う。なんともまぁ小さいというか、しょうもないことで人を嫌うものだなとも思うけど、彼女も必死だったんだろうな。今まで仲がよかった子とクラスが離れてしまって同じクラスだったの私しかいなかったもんな。生き残ることに必死だったんだろうな。

でも、今でもあの時の選択は間違っていなかったと思う。

自分にとって正しい選択をした。もちろんトイレを通常通りに使いたい人にとっても。

 

けれども、私を追い込んだのはこの子とは別の女子生徒である。

その子とは何が始まりだったか覚えてはいない。いつの間にかいじめの対象となっていて、それは数多の嫌がらせを受けた。

身体的特徴を挙げていじってみたり、笑ってんじゃねーよと言ってみたり、何か臭くないかと声をあげてみたり、そのどれもが遠巻きに言うものだから質が悪い。面と向かっては言えないが、当人が把握できる範囲での悪口というのは心が疲弊する。言い返せたらよかったのだろうけど、どうしても人に傷つく言葉を言う事ははばかられた。

(この点、とある人物に謝罪せねばならないかもしれないが、まぁアイツはそれを喜んでいた節もあるので判断しかねる。現在も交流の深い数少ない友人であることは間違いない。今後も仲良くしていただきたい)

ほぼ、クラス一丸となって私を追い詰めていたことは確かで、どんなことがあったか指折り数えて話せば夜が明けるくらいにはなるやもしれない。今となっては懐かしい思い出ではあるが、実際その時は死ぬ思いだった。

それでもやっぱり死ぬのは怖かったし、この学校生活が終われば今の苦しい思いとはおさらばできると考えていたので、卒業がとても待ち遠しかった。卒業式の練習をしていることがどれほど楽しかったか! あの時のおめでとうほど心に響いたおめでとうはないのでは? と勘違いさせるくらいの威力であった。実際、あの場で泣くことがあるとすれば私は歓喜の涙を流した事だろう。

 

女子はもちろんだったが、男子も同じくその輪には入っている。

もちろん直接何か言う事などはなく、私が話しかけても無視したり、個人を特定できる直接的なものはなくとも、わかる範囲で私の事を弄っているなというのは良くわかった。

身体的特徴から、サルの真似をしているのを見かけた事がある。私が知らないと思っているのかどうかは分からないが、昼の時間だったか、みんなが教室にいる時に数人が突然始めた事だった。また何か言っているなと思った時、その中の一人の男子が「でも、顔かわいいよな」と言った瞬間、教室の中がしんと静まり返った瞬間を私は忘れない。

これが本当に私を差して使った言葉なのかはわからない。実際に問いただしたわけでもないので。けれど、私を弄っているなと思っていた時にそう放たれた言葉なので、私は非常に驚いた。顔には出さなかったけれど。

その時に思ったことは二つ。

ひとつ目は、人によっちゃあ私の顔はかわいく映っているのだということ。あの瞬間誰も否定の言葉を吐かなかった。例の女子生徒でさえも。その時の驚きが強くてその後の詳しいところは忘れてしまったけれど、そのあとは特にモノマネ大会が延長されることもなかった。粛々と終わったのかなと思う。

ふたつ目は、そのセリフを言った男子生徒も結構怖かったのではないかということ。

周りとの同調をぶちぎってなぜそのセリフを言ったのか? カースト的には上位の人で、言ったところで自分がいじめられるようなことはないと分かっていたのかもしれないが、それを言うメリットはなんだ? 弄られこそすれ、彼にとってプラスになることはないだろうに。でも、私の気持ちをこの世に引き留める一助にはなったと思う。

 

他にも、色々と覚えていることはあるけれど、要約するとこんな感じ。ほとんどが……というか話に上ったのは中学生の時の話で、高校でもあるにはあったけど中学の頃に比べたらという感じ。高校では主犯格の女子生徒はいなかったし(受験したが落ちたと後に聞いた。あの誰でも入れるような高校に? と思った)、男子生徒もいなかった。

初めの連れション女子はいたが、一年時に同じクラスだっただけで、この時も私を遠巻きに目の敵にしていた節はある。

けれど、本当に人に恵まれて、二年生からはそこそこに楽しいと思える毎日を過ごせた。

今まではカースト上位の人たちはみんな似たり寄ったりの歪んだ性格で人を見下す人間なんだと先入観があったが、高校で出会った人たちはそんな事なかった。身体的特徴で弄られた事はあったけれど、中学のときとは全く別のもので弄られていて、彼女たちもいじめる目的で言っているわけではないのは分かっていた。次元が全く違う。(場合によっては、これがいじめているつもりなくいじめていた事になるのかもしれないが、本物を味わった身としてはこんなもの、という感じだ)

なので、自分から進んでボケに乗ったし、それを笑って「またね」と言ってくれる事が嬉しかった。その子とは別になるが、自分もいじめられていたから、そうはなりたくないと言ってくれた子もいるし、体育の授業中に球技が苦手な私の隣に並んで「めんどいよね」だか「熱くなりすぎだよね」だか言っていた子もいた。(この子は試合中にも関わらず一切走らず、友人に怒られても自分のペースを崩さず迫るボールにも手を出さない姿勢を貫いた。格好良くて大好きになった。とても可愛らしい子だった)

こんな私にも話しかけてくれる優しい人はいるんだなと思った時期だ。

最悪な出会いも、最高の出会いもあった高校生活だったけど、間違いなく誰よりも楽しく素敵な日々を送ったと思う。

 

それは今も引き続き、最高の人生を歩む糧になっている。

中・高時代の「られていた」時期を越え、大学時も私を嫌う人はいた。普通に中学生を生きているなと思うような心の乏しい人がいた。(心理の大学に入ったにも関わらず、信じられない事だが実際にいたのだ)

その刃が私に向けられていないものもあり、一緒になって遊んでいた子に向けて突き付ける者もいた。私も中学時代から学んでいなかったので、すぐにその輪から離れて刃を向けられていた子の隣に立つことを決めた。自分の益にならない子たちといるより遥かに良い時間を得られた。

丁度そのころだったか、私は母に中学生の頃に「られていた」事をポロリと零したことがある。なぜその話になったかは分からないが、自分の中学時代に敵だった人間の名前を上げていった時、「その子のママと仲良くしちゃったじゃん……」と、酷く悔しそうにしていた姿を覚えている。確かに、母親側に立った時に自分の子どもをいじめている奴の母親と談笑なんかしていたら、自分をぶん殴りたくもなる。でもまあ、過ぎたことは仕方ない。逆に、その経緯があって今の私ができたというのなら、辿るべき道で会ったとも思うし。

そして、なんと今は社会の歯車の一つとして世に出ている。

死ぬことを考えたりもしていた人間が、である。

この経験があったからこそ、人の痛みには敏感になるし、人を傷つけたり自分本位な奴を見ていると弾き飛ばしたくなる。誰にも負けない優しい人にもなりたいと思うようにもなった。私に関わる人みんなが笑っていられるような世界になってほしいとも思う。心の負荷が軽くなるような毎日にしてほしいとも。

誰かを守るためには、自分自身も強くあらねばならない。けれど、既に私はつらい時期を知って、乗り越えて、今もどうにか生きている。自分の気持ちをどうにか支えてやっている。それが難しいと思ってしまう人たちの助けになれたらいいのにと、何度も思っている。形にしようとしたけれど、ダメになってしまった事が寂しいが、いつかできればいいなとも思う。

そんな今の私を大好きだと言ってくれる人がいる。

それは両親でもあり、言葉にしないが弟でもあり(そう願いたい)、友人たちでもあり、会社で第二の母と言ってくれるお姉様でもある。何度ありがとうと言っても足りないくらいに、私は愛を受けて育った。それはもう、過去の私を大きく包み込んでくれるくらいに大きな。

もしくは、人ひとり包めるくらいの絆創膏かもしれない。

 

そうして生きて来た私の心の教訓を、ここでもう一度ご紹介する。

【痛みを伴わない教訓には意義がない 人は何かの犠牲なしに何も得る事などできないのだから しかし、それを乗り越え自分のものにしたとき…人は何にも代えがたい 鋼の心を手に入れるだろう】

私は、鋼の心を手に入れられただろうか。

家族以外の人と一緒に一つ屋根の下に住む、その感覚本当に凄い事なんだってわかります?

年が変わり、前年の夏に三度目の引越しを終え、再び新居での日々を過ごし始めた。

年一で引越ししているので、引越し貧乏になるぞと家族に脅しをかけられ、言外にもう引越しは控えろと言われたようだ。できれば私ももうしたくないと思ってはいるが、何があるかわからないのが人生というものである。

もしかしたらこの家でも暮らすのが不便だと感じるかもしれない。はたまた、同棲や結婚をしてしまうかもしれない(望み薄ではあるが)。

私は他人と一緒に暮らすということをしたことがないので未知数であるが、凄い事だぞと毎回思ってしまう。

 

 

 

現在、私の周りでは結婚している者はいるが、同棲をしている者はいない。

しかし過去、彼女たちは同棲をしてから結婚に至ったので、むしろ同棲を通らずに結婚へ進んだ者はいない。必ずその過程を踏んで夫婦になっている(なんなら、一度一人暮らしを経験してから同棲したいと言って、一年くらい一人暮らしした子もいる)。

また、一度同棲したものの、ペットを飼いたいという理由で同棲を解消したところもある。特に仲が悪くなったなどの理由ではなく(現在も仲良くやっているようではある)、しかし一緒に引っ越すわけでもなく、片方だけ部屋を出た形である。珍しい事をしているなーと思って見ていたが、彼女らしくもあるのでとても好ましい。

私は、それらの話を聞く度に「他人と一緒に住むのすげぇ!!」と思う。

 

一人暮らしが板についてきたようには感じる。

友人や元彼氏とのお泊り会なども経験はある。

しかし、それらは一瞬の事であり、非日常的な空間として捉えていて、決して生活の一部にはならないもの。「ただいま」と言ったら「おかえり」が返ってくる空間を家族以外と過ごしたことはない。

初めは修学旅行のように楽しく過ごせていても、後々不満を抱えたりしてしまうのではないかと思ってしまう。……まぁ、同棲はそれを見極める場面なのだろうけれど。

しかし、その不満を二人ないしはそれ以上で話し合って、理解し合って一緒に住み続けようという選択になることは本当に凄い事だなと思ってしまう。自分でできた試しがないから余計にそう感じるのだろう。

自分の事をそこまで深く知っても好きでいてくれる、愛してくれる存在というのはとても凄い事だ。性格はもちろん、ちょっとした癖や生活習慣や態度、行動する時間帯が違う人もいるかもしれない。それでも相手を尊重して、かつ自分の機嫌も取れる。そんな風に生きている事が素晴らしい。もしそんな時が来たら私もそうありたい。

私が「そうありたい」と考えるのは、どちらかといえば共同生活よりかは同棲寄りの視点になってしまうのだが(年齢のこともあり)、身の回りに共同生活をしている者が少ないというのもあるし、仕事上での飲み会でよく恋愛事の話が浮上するので、そのせいもあるだろう。

 

世の中ではセクハラと訴えられてもおかしくない程度に我が社の人間はあれこれと踏み込んで聞いてくる上司が多い。そりゃもう飲み会に行きたくなくなるほどに。

「結婚してるのかと思った」「彼氏がいるかと思った」何度言われたことか。

いたとしてお前になんの意味があるんだ。いやまあ百歩譲ってそこはいいとしよう。ここまでは私も別に目くじら立てて騒ぐほどの事ではないし、私ももしかしたら結婚してるのかもという気になったりする。

だがそのあと、社内でフリーの者同士をくっつけようと話を進めるな。

好きだったらこっちでグイグイいくから心配するな。人の手借りずに当たって砕けろ精神で今までやってきてるんだから、言われなくてもアプローチしますよ。好きなら。私を舐めるな。

などと否モテが騒いでおりますが。

この手の話、反応に困らない? 私だけ?

しかも飲みのということで大多数の人はアルコールを摂取しているわけで、私の課は女性が多いのだけれど、それ以外となると男性が多くなり話は嫌な方へ進むこともある。

笑えない下ネタに発展したり、まるで武勇伝のように自らの不逞の話を持ち出したりするのだ。なんの力の誇示だ? 初めてその場に居合わせた時は驚きのあまり顔が引きつったのを覚えている。酔うとその人となりが見えると言うが、一度動画を回して酔いが醒めた時に是非見て頂きたい。その後何を言うのか、こちらも是非見てみたい。

 

上役はそういった話で場を盛り上げもするし下げもする。

はたまた、同じくらいの年代はどうかというところ。(一応、±10歳前後程度)

上記にも記したように、未婚もいれば既婚もいて、恋人作りにバチバチに勤しむ者もいる。

今流行り(?)のマッチングアプリの話題が上り、私も利用している事があった(というか、現在も一応登録はしてあるのだがほとんど動いていない)事もあり、「私も……」と話に参入してみた。恋愛に興味がないように思われているのか非常に驚かれたりもするが、それはこちらのセリフでもあり、顔が良いのになぜ相手ができないのかと不思議だった。仕事上でしか知らないが、性格も優しく仕事もする人である。

初め、見てくれが良すぎて相手が引いてしまうのかとも思っていたが、話をしばらく聞いているともしかしたら違うのかもなと思うようにもなった。

彼一人の話になってしまい申し訳ないが、結構恋愛の話になると熱量が素晴らしく、結婚願望がとても強い人なので仕方ない。

何度かその人とは飲みの席を共にしているわけなのだが、結婚をしたい話をよく聞く。むしろ、アルコールが入るとその話しかしないのでは? と感じるくらいにはする。既婚者に対しては羨望の眼差しを送り、未婚者に対しては仲間意識のようなものを感じているように見える。いやまあ実際仲間なんだけども。

そんな彼を好きだという子がいて、何度か二人で遊びに行ったりしているようで、なら良かったではないか将来の伴侶かもしれんぞと思っていたが、歳が離れているので妹のようにしか思えないという。そして、今は違う子が気になっている話をし始めた。

しかし、自分を好きではないようで、どうにかして自分を見てもらえるように周囲を巻き込みながら奮闘していると。私も存じている方なので、君も手伝ってくれないかと、こう言うわけで。

別に私は構わないのだけれど、彼女のことを知っているので「たぶん貴方は彼女の好みじゃないと思いますよ」とは釘を刺しておくことにした。

 

ここまで聞いていて、この人はもしかしたら誰でもいいのかもしれないなーという思いが胸をよぎった。

確かに、一度付き合ってみなければその人となりは見えないだろうし、二人でどこかで話すだけでも見えるものがあると思う。もっと仲良くなりたいと思えば、二度三度と二人での逢瀬を重ねていくだろう。

たぶん彼は、妹のような人に対してもこれをしているように思った。

対人の仕方はそれぞれなので口出しはしないし、その人のやり方で全く構わないとは思う。のだけれど、私の話をさせてもらうと、「恋人になりたい」のすきな人であれば二人きりで行動するけれど、「友人のままでいたい」好きな人に対しては第三者以上を誘って複数人で行動する、というのを私は守っている。

これは、私の中での線引き。

私を誘ってくれる、ということは少なくともどんな形であっても好意があると思う。集まるのが複数人であれば仕事上・友人関係上での「好き」に当たると思う。二人だけでとなれば、それは恋仲になりたい「すき」と判断する。

もしも二人だけでとお誘いを受けた時に、その相手が特に「すき」というわけではなければ、他に誰がいますか? と話を持っていく。

この話をした時、誘う方のハードルが高い。傷つく。と言われたが、ちょっと何言ってるかわかんないっすね(サンドウィッチマン)。

だってそうじゃない! 相手はあなたが気になっているので一緒に二人だけでご飯に行きませんか? って誘ってくれているのに、全く興味ない・すきではない相手にまるで私も興味ありますみたいな雰囲気でいなきゃならないの? むしろすきですと言ってくれている相手に対して失礼だとすら思う。私だったらそうして欲しいと思うし。

同じ気持ちなのだと勘違いしたまま、実らない恋に傾倒している時間がもったいない。だったら、初めからお断りの姿勢を見せた方がいいのになと、個人的には考えてしまう。例の彼は私とは合わないらしいけれど。

 

こういった違いばかりが目についてしまうから、他人と一緒に暮らそうと思って今でもうまく付き合えている人たちは本当に凄いなと思う。それだけ大切にしたいし、大切にされている関係なのだなと思うので。

その信頼関係が素晴らしい。

今までがろくでもない人(とは言っても、一度でも関係を持った人なのであまり自分を棚上げはできないけれど)としか出会ったことがないので、たぶん私はこういう人としか上手くいかないのかもなーと思うところもあったりする。なので、マッチングアプリで出会ったとしても、斜に構えてしまうこともあるというか、この人もそうかもしれないと勝手に思ってしまう。自分の頭の事なのに勝手にというのも変な話なのだけれど。

こじれた過去を思い出すと、なんだかもやもやとした気持ちが沸き上がってしまうし、その話を相手にすればいいのだろうけど、したらしたで気まずくなったり付き合いずらくなったりしても可哀想だし、すきな人の過去の事知りたくない人もいるだろうし……。まあ、結局は自分が一番かわいいので守りたいというエゴがあるのだろうけど……。

上記の婚活男子は、付き合った子にはたくさん餌をあげるけど、返してはくれないと嘆いていた。表現がいかがなものかというのは置いておいて、本当の自分のことを愛してくれていないのかもなと感じるのであれば見切りも大切。これは骨身に沁みるほど分かったことなので、私自身にも灸として据えておきたい。

本当の自分というのは化粧をとった顔とか、表面上では見えなかった家の中でのぐうたらさ加減とか、そんなことではなく(むしろそれはあって当たり前のことで)。月並みな言葉になってしまうけれど、価値観だったりとか許容できる色んなものの範囲だとか、他の人には言えないけれどこの人になら言えるというような信頼だったりとか、自分の弱さを見せられるとか、そういったもの。それらを受け止めてくれる人だという事。情けない姿を見ても、笑ってもいいから大丈夫力になるよって言ってくれる人が良いよね。私もそうありたい。

気がついた頃から私の両親は不仲なので、私も結婚したらこんな風に変わってしまうのかなとか、もしも子どもが産まれる事があれば虐待なんかせずに育てられるだろうかとか、余計な事ばかりが脳裏を過ぎっていくが(笑)それも全部、私の心によるよなと思う。

どうやって相手と付き合っていくか。

どうやって本当の自分を相手に見せられるか。

どうやって相手の気持ちを汲み取れるか。

そしてそれらはまず相手がいなければ始まらないということ。

……わかってはいるから……。行動したいけど、本気じゃないと思われるのが怖くて動けない時もあるし、軽くあしらわれるのが怖くて動けない時もあるし、他の大多数の人と同じ括りで見られてしまうのが不安で動けない時もあるんだよ。

って、あれ? お前、当たって砕けろ精神で突っ込んでいくんじゃなかったっけ? 心強く突っ込んでいけ。

そうも思うよ。

 

 

 

話は変わるんだけど、恋愛漫画とか恋愛小説が苦手なんですよ。

と、思ってました。

最近気がついたんだけど、映画とかドラマになるような恋愛ものが苦手なだけで、そこそこ漫画とか読んでるなと気がついたんですよ。ちょっと形は微妙なものだけど。

少女漫画という少女漫画は俺様ティーチャーとか、カードキャプターさくらとか、西炯子さんの本とか、そこらへん。恋愛してるの西さんの本だけじゃねえかと突っ込まれること多数(私の脳内では)。

恋は雨上がりのようにとか、14歳の恋も持ってるんだけど、「普通の恋」というには少し逸れた話だと思うし。でもどれも素敵な漫画なんだよ~。

歳の差の恋愛が大好きなので、そちら方面の話ばかり集めてしまっているのだけれど……(笑)歳の差好きだと話の終着点が切ないのも多くて、それが最高……!! 切ない話最高に好きなので収集しがちである。

音楽とかもそっちよりの恋愛ソングが好きで、学生時は先生が好きだったこともあって、先生との恋愛ソングを調べては聴いていた。ふと最近その曲を思い出した瞬間が合って、懐かしくて思わず聴いてしまった。あの頃は、この曲を聴いて思いを馳せていたなーとセンチメンタルな思い出を引き出していた。

実際に自分がその立場になったら「おいおいおーーーーーい」って気持ちになっちゃうけど。

というわけで、今回はお酒と共に過去良く聴いていた恋愛ソングを流しながら書いていたので記しておく。

 

私の恋愛

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あとは、先生にだけではないけど、私の中では最強の悲恋ソング。

 

恋

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中孝介さん本当にだいすきで、奄美の歌い方が私は聴いていてすごく心地良い。声自体も優しくて、切なくて、歌詞も最初から最後まで切なくて良すぎる。歌いだしが「せめて一度くらい 振り向いてほしかった」だよ? こんな切ねぇことがあるか?? 悲恋ソング大好き人間完全ノックアウト。

しかも彼、私の中の「愛」を歌ってくれてもいるし、私の人生の中で大切な曲をめちゃくちゃ歌ってくれてるんだよね。出会えて良かった。

音楽から気が付ける感覚もあるし、自分の考えが形になっていく感覚もあるから、やっぱり音楽は生活から切り離せないなぁと思う。

私を形作るもののひとつだからね。

気になるマンガ読んだら、いろんな感情が渦巻いてきて過去の事を思い出した。

とりあえず一冊のマンガを紹介させてください。

いきなりですが今日はこういう話なのです。

 

このマンガ、以前から広告で存在は知っていて、女の子も男の子もかわいいし、話自体も二人の掛け合いが面白くてかわいいし、切なくて最後は泣いてしまいましたね。はい。

すきだなーと思えた二人だからこそ感情移入をものすごくしてしまってな……この子なら主人公ちゃんを大切にしてくれるよな……。

 

というわけで、ザックリとなのですが内容。

主人公は不感症を理由に多くの恋が実らずにきていた。その愚痴をバーで働く幼なじみに相談したり、話し相手になってもらったりしていた。ひょんなことから、不感症を克服するべく、幼なじみが協力を申し出てくれて、主人公もそれにあやかり次の恋に乗り出すべくお願いすることに。

しかし、実は幼なじみの男の子は主人公のことがすきで……。

という感じ。

6巻、というか6話で終了なので、世界は狭いのですが私は好きでした。

買おうかなーどうしよっかなーカゴに入れとこー。と思ったら、1クリック購入してしまっていて驚いた。自ら1クリック詐欺みたいにしてしまった。

お話は結果的にハッピーエンドになるのですが、最後の克服の瞬間の相手の言葉がグッときてしまって、思わず涙してしまったわけなのですが。

不感症ではないけど、触られること自体がそこまで得意ではないので、主人公の陥る困難というのはわかる気がする。触られるのはあんまりだけど、自分から触りに行くのは好きな面倒な奴。

だからこそ、一番最初の記憶って良いものにしたいと思うのも当然。

 

 

 

そこで思い出したのがこの映画。


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おとなの事情 [DVD]

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友人に教えてもらって見た映画だったと思う。

その人の顔が見えていく瞬間が面白く、また終わり方がすき笑。ここまできて!? という驚きがあるけど、私はよかったなと思うのだけど……。

内容は動画通りなのだけど、その中の一つの場面で、とある両親の娘が彼氏と遊びに行った先で父親に電話してくる。それ自体もみんなで聞いているわけなのだけど、娘の彼氏が「今夜、親がいないから家に遊びに来なよ」と誘ったというのだ。

年頃の付き合っている者同士が夜に親のいない家に遊びに、となればすることもわかる。それが不安になって、父親に相談の電話をいれたという訳である。

何度か言葉を交わす中で、心を打たれたのが「一生忘れることのない大切な瞬間になる」と父親が娘に諭した場面。

私はこういう話をもっと両親とすればよかったなと思うよ。我が屋はあまりこういった話をすることがなかった、したとしても微妙な空気に包まれてあまり話し合いという雰囲気にはならなかった。だからとはいわないけれど全てがなくなってしまった後に、その行為の大切さを知ったよね。

 

他の人はどうか知らないけど、そういったものの知識が付いてきたときほど興味をかきたてられることってないと思うのよ。しかも幸か不幸か、思春期の時にそういった知識が大量に得られるような状況下になっていると感じてる。

(私の時は中学校から携帯を持つ子が多くなったけど、今は小学生が持ってるのも当たり前になったよね。そうなるとネットでも色々調べることができるし、そういった知識を収集することが小さくてもできるようになったのかな)

持ち始めたときは1クリック詐欺に気を付けるんだよ(伏線回収)。

その知識というのは、きっと動画だったりマンガだったり画像だったりするだろうと思うのだけど、それって確かな情報ではない。間違ったもののほうが多い。その知識を真に受けて、相手に対して行ってしまったり、独りよがりのものになってしまったりする。

相手も自分も初めてならなおのこと、もしかしたら嫌でも嫌とは言えずに行われてしまうかもしれない。嫌なら嫌と言えばいいんだからね。怒るのなら、どうして怒るのかきけばいいんだから。

二人きりの空間でそんなこと怖くて言えないというのならば、二人きりになる空間に行くな。自分の安全を一番に考えろ。そして断ったことに対して怒られるかもという相手と付き合うな。

と、私は考えます。結局どうするかは自分次第なんだよね。「おとなの事情」のお父さんも、そう思ったからこそコンドームを渡して送り出したんだろうな。そういう対応のできる親になりたいな。

 

私自身は、そんな気構えができていなかった。

それこそ、その場の雰囲気にのまれてしまったといえばそれまでだし、意思が弱いといえば確かにその通りだし、自衛が足りないと言われれば開き直るしかない。自分のことだ、誰よりも後悔している。時間が巻き戻れば同じ間違いはしないと誓う。一緒に記憶が巻き戻らなければいいのだけど。

相手はたぶん性への執着が強い人だったのだと思う。

実際の行為に対しても遠距離だったが頻度は高かったと思われるし(遠いとは言っても県は跨ぐが電車で数時間揺られる程度だ)、下ネタを言っては一人で気恥ずかしげに笑い私の苦笑いに気が付かず肩を押す・または頭を叩く真似をする。……少し愚痴も入った。

初めてのそういった行為の相手というだけでここまで記憶に残ってしまうものなのかと驚いている。偽りなく、すべてはっきりと思い返すことができる。もう何年も前の事だというのに。すべて思い出せるのだ。それほど深いところで引き出しの中にひっそりと残っている。

その時は混乱が大きくて、でも意識ははっきりとしていて、頭の芯は冷静だった。少女漫画のように頭真っ白になどならない。あまりにも鮮明過ぎて、気持ち悪いとさえ感じてしまった。気持ち悪いと感じるなんておかしいとも思った。だって、曲がりなりにもすきだと思って付き合っている相手に、気持ち悪いと思うなんておかしい。

私の知っている少女漫画の中なら、キスも体に触られることも、嬉しいものだった。

もしかしたらもう少し進めば違うのかもしれない、でももしそうじゃなかったら……なんて考えている間にあれよあれよと事は進む。

そもそも、こんな事を冷静に考えられていること自体考えていたものと違う。思考が現実に置いてかれている。

そんな風にして終わった。感想も何もあったもんじゃないと今なら思う。

先にも書いたように頻度は多かったので、その後も幾度もあったが、私にとってはそういうものなんだなと思っている。相手の自尊心を保つために言うのなら、嫌だと感じない瞬間もそりゃあった。でもきっとかみ合わなかったんだろうな。

回を重ねるごとに要望も過激にというかなんというか、正気か?と思うようなことを言ってくるようにもなった。お前それは動画や漫画の見過ぎだぞということを言ってのけることが信じられなかったし、確認してくるくせに意見を撥ね退けるようにして押し進んでくることもあった。ことしかなかった。信じられない気持ちが強かった。

人と接触することが苦手なのは話していた。初めのうちはそれを覚えていたから、優しくもあったろう。当たり前になるということはこういうことなのだ。

 

確かに、嫌われるのが怖い気持ちはあった。

私は体にコンプレックスを抱えていて、そのせいで触られるのが怖いことにも直結している。それを言われるのが怖かったが、その人は特に気にした風もなかった。たぶん私が何も言わなかったから驚いたとは思うけど、取り立てて騒ぐこともなかったし普通に接してくれた。嬉しかった。だから応えたいという気持ちもあった。

私がこれから生きていく中で、そのことを気にしない人がどれぐらいいるのかと思うとそう多くないと思う。そういう考えがあって、すきがなくなっていてもしばらく気が付かなかったんだろうなとも感じる。

まあ、それはまた別の話になるのだろうけど。

 

こうして、「大切な瞬間」を一瞬にしてなくした。

結局はそれをよしとして体を許したわけだし、もしずーっと続いていたら結婚していたっておかしくなかった。結果は御覧の有様だが。

そういえば、私の友人には「結婚するまで体の関係は持たない派閥」と「結婚するまでに体の相性は知っておきたい派閥」との人がいる。どちらの意見もわかるし、昔の私はどっちでもいいと思っていた。

けど、今までの事象があって、少し後者に傾き始めている。私の色んな場合が合わさってのことだと思うけど、体の相性というかなぁ……笑

初めのうちに私も言えばよかった。気持ち悪いとはっきり伝えずとも、ちょっと今日はだの、初めてだから怖いだの、なんとでも言えたはずなのに事の成り行きに任せてそのまま終了してしまった。でもたぶん、そうやってどうとでも言って回避していると、本当のことを言えないが為に、相手の何で? 感というものが強まっていくのかなとも思うけどね……。

でも、大切な瞬間をなくしてしまうことがこんなにも喪失感を覚えるものなら、私はそうするべきだった。大事なその時まで、とっておきとして持っておけばよかった。……あれ? じゃあ結婚まで関係は持たないの?

 

今後、そういった出会いがあるとは思えないが相手がいるのはいいだろうなぁ。一人は楽しいし、その時間と同等に思えるものなら。何かを一緒にしなくてもいいから、同じ空間にいて違うことをしてて無言でいてもつらくない人。その人がつらい時に自分の事のようにつらく感じて、どうすれば解決できるか考えるのなら一緒に考えて、ただ話を聞いてほしいというのなら支えになる。そういう生活でいい。生活がいい。

なんて家族 笑。

歳を重ねると、こうやって恋や愛より、癒しというかもっと深くて凪いだものを求めるようになってしまったので、より出会いというものが難しく感じる。

まあ、そもそもないやつが何言ったところで変わらないんですけども。

 

乙女ゲームというものは、なぜこうも私の心をつかんで離さないものになったのか。

乙女ゲームを知っているだろうか。

乙ゲー(オトゲー)と略して呼ばれ、「私オトゲー好きなんだ」と言われ「私も好き!」と同意をした時に何か話が合わないなと思いよく考えてみたら、相手は音ゲーの話をしていたという苦い過去がある。しかしそんなことで嫌いになれるものではない。

私自身、どちらのオトゲーも好きだが、浅い知識しかないことは否めない。

そこまでのめり込んでやることはなく、気になるものがあればプレイして楽しむくらいであった。

今回も、数年前に遙かなる時空の中でシリーズをいくつかプレイした後、しばらく離れていたのだが久しぶりに欲がでてきたのでやってみようかと思いたった。(実際は、携帯ゲームのオススメがメールの案内できたことがきっかけ)

というわけで、早速「ピオフィオーレの晩鐘」と「collar×malice」のふたつを携帯アプリで購入しプレイした。

まずピオフィオーレの晩鐘を攻略し、その後に collar×malice (以下カラマリ)を攻略。

その際、正直ピオフィオーレの晩鐘の内容があまりにも良く(主にオルロックルート……)、どのエンドも話がじっくり進んでハッピーエンドもバッドエンドも心打たれた。バッドエンドにもこんなに時間を割いてさせるのかこのゲームはと、オルロックルートを終了した時に打ち震えた。最後の最後に攻略したが、本当につらかった……。

キャラクターは楊がすき♡ マフィアやカモッラが好きというと語弊があるだろうが、バッカーノがすきなのと、その繋がりで禁酒法時代に何かと胸が躍るのでこのゲームをやろうと決めたわけなのだが。本当に、ルートによってはバンバン主要人物も死ぬ。攻略キャラも死ぬしモチロン自分も死ぬ。

けれど、それ以上のつらさがオルロックルートにはあって、それが忘れられなかった。


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その衝撃を忘れられぬまま、カラマリを続けざまにプレイし始めたのも悪かったかもしれない。

岡崎、笹塚、榎本と攻略していく中でバッドエンドに物足りなさを感じつつも、彼らの過去の話と、強い主人公ちゃん、捜査に自分も入って考えられるかのような選択場面等に楽しんでいたのは事実。

いやーけどまぁやっぱりオルロックの話を超えるような内容はないかなーと、二週目から攻略解除された【白石 景之】の話に入った途端にその私の思いは怒涛の勢いで崩された。

今まで、ずっと主人公に向けても他の人に対しても飄々として自分の事を話さないくせに、相手のことを分析してボコボコ心を読んでくる白石が苦手であった。見た目もすきというほどではなかったし、ズケズケモノ言う態度も、それで傷ついているのに何も思わないのも、観察対象とか言いだすのも、いつもただヘラヘラ笑って受け流すのもムリだった。そう、【好きじゃない】というやつだ。

とりあえずは動画を見て頂こう。

カラマリの世界観をどうぞ。


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白石景之の姿を見ましたか? 見てくれました?

これすきになります? 彼顔負けの物言いで申し訳ないですが、白石さん29歳なんですよ。29歳であの恰好されて署内ウロウロどころか普通に区内を闊歩してるんですよ。信じられない。猫が飼えないという理由で!! 好きになる要素あります?

ないんですよ。それにあの性格ですよ。わー! すき! ってなる要素何一つみつかりゃしないの。ビックリ。容姿なら絶対に柳さんが一番ですよ。その彼を攻略するには白石さんを突破しなければならないので流れでプレイし始めたのが彼と接点をもつ機会となった。

 

もったらもったでスチルも集めたいのでちゃんと攻略はしようとしたし、話にも耳を傾けもした。

まーでも性格がアレなので、初めのうちは「ふざけんな猫耳野郎」と主人公ちゃんを押しのけて間に入りたい気持ちが続く続く。でも主人公ちゃんも強いので彼に言い返しもするし、一緒に仕事をするのだからと距離を近くしようと頑張るので本当にいじらしく、可愛らしい。

その頑張りもあり、白石さんが彼女に別の意味で興味を惹かれるようになって、ガチャガチャで猫のストラップを交換するところから神様視点の私も彼に惹かれていってしまった。

ただの興味の対象から徐々に引き上げされていくのを白石さん自身も気が付き始めてきた頃、彼の過去や生い立ちや現状がちらほらと見え隠れし始めてきた。はっきりとはわからないものの、何かの施設で人間のような扱いを受けずに育ってきたようであること、何か理由があって主人公ちゃんに近づいていること、それでも自分の中に芽生えて来た何かに抗えないこと、それが叶わないとわかっていてとてもつらいこと……。

ここまでプレイしてきた中で、怪しいところはあったし、意味深な場面も確かにあった。でも、いや何か絶対に裏があるはずで私が思っているような人ではないのだと思っている自分がいた。だから、この後も鬼の形相で白石さんの態度を怒る主人公ちゃんにも、手を繋いで笑い合う二人にもほっこりしていた。

初めの気持ちはどこへやら。中盤以降から彼に心奪われていく私がいた。

 

X-Day事件も終盤になった時、白石さんの正体を知った。

アドニス側の人だったこと、計画にために作り上げられた駒・人形であること、主人公をアドニス側に引き込む為に仲良くなるよう仕向けられたこと、主人公を裏切った白石さんを殺すことで首輪が外れアドニスの仲間になれること。

それだけではなく、理由はまだあるのだけれど……。

こうして主人公ちゃんを助けるためにという理由をつけて動いていた彼の気持ちたるや……。

今までは張り付けたような、用意していた笑顔だった彼が、いつのまにか主人公ちゃんには素の表情を出すようになっていたのに、首輪を外すには首謀者の意図をくまなきゃならない。自分が生きるよりはと思っていたけど、主人公ちゃんが許すわけもなく首謀者を撃ってしまうのだけど……。

同時に首輪の毒が注入されてしまい、白石さんは解毒剤があるのを知っていたから一命は取り留めることができた。けれども、後遺症のせいか記憶がなくなってしまう。

ここで! もう! 泣きそう!!

解毒して、看病のために地下の隔離施設みたいな場所で主人公ちゃんが目覚めるのを待って、やっと起きたと思ったら「誰ですか?」って訊かれるの。あまりにも切ないでしょう。これバッドエンドじゃん……と思いながら沈痛な思いで読んでたのよ。白石さんすきになってしまったもんだから、エンド最初見るのどっちでもいいやってやってたけど……。こんなにつらいとは……。

ぐっと涙を堪えてたのに、続く白石さんの悲哀のこもった笑顔で言った「君の主治医だ」にもうだめだった。ボッロボロ泣いてしまった。いつの間にか、こんなになるぐらい彼の事が【嫌いじゃなく】なっていた。

そして流れるエンディング……え!? エンディング!? てことはベストエンドがこれ!? 絶対嘘……こんなにつらい最期がベスト・ハッピーエンドだなんて認めないぞ……岡崎さんの時にも騙されたけど、本当に今回ばかりはどうにもならないじゃない……。

呆然としながらエンディングで流れる今までの思い出のスチルを見て、また泣いて、二人の今後に思いを馳せつつその後の話が来るのを待った。ここからどうするつもりなのかと思ったら、二人の医者・患者の関係が一年間続き、主人公ちゃんがだいぶ良くなってきた頃に地上に戻って柳さんたちに預けて、自分は自首しに行くのよ……。

その前に、約束した主人公ちゃんたちと一緒にクリスマスパーティーするの……あの白石さんがだよ……信じられない……。それだけ彼の心に深く食い込んだんだよね、主人公ちゃんとの思いが……。

自分の命は人生はアドニスの為に捧げてきたのに、彼女にはどうにか幸せになってほしい。主人公ちゃんを思う気持ちはみんな変わりなく持ってるし、自分よりも主人公ちゃんを! と思っているのは一緒。それぞれが過去に暗いものを持っているのも一緒。だというのに、白石さんにここまで惹かれるのはなぜか。

 

初めから彼を好ましく思っていた場合、ここまで気に入ることはなかった確率が高いのではないかと思う。落として上げるというやつでは。

たぶんそこが一番大きい気はする。

彼との初めの段階では、好意的なものがなに一つなかった(他の人も好意的ではなかったろうが、彼のように目に見えてというほどではなかった。笹塚もほんの一瞬程度)。驚くほど上辺だけ。好きじゃなかったから、そう見えたのかもしれないが、何かしてくれたとしてもそれを嬉しいとは感じられなかった。

それが、高いお菓子を買い与えられた時より、彼が考えて買ってきた動物型のクッキーを貰った瞬間が凄く嬉しくなった。

この時はわからなかったが、養成施設で育てられた彼は非効率的で無駄なことはしないタイプ。その人が、主人公ちゃんの為に自分の時間を割いて、なおかつ慣れないプレゼント選びをして、どうしてその物に喜んでもらえたのかわからないが主人公ちゃんが喜んでいるならそれでいいと納得する。

なんだそれ。そんなの誰でも好きになりますやん。

お近づきになるために、主人公ちゃんを喜ばそうとしたり気を引くように仕向けたりしていたのはわかっているが、それと同時に人形だった彼の心にも確実に積み重なっていくものがあったのだよ! わかるか!? その尊さが!! わかるであろう!

もう虜よ。

さらりと書くけど、主人公ちゃんは記憶を取り戻して白石さんが罪を償い終わるまで待っていることを約束して終わりなので、一応ハッピーエンドではある。

その後の話も「collar×malice unlimited」にてプレイ済みで、一体どんな始まり方なのかとドキドキしながらプレイしたが、さすがオトメイト。刑務所に入りながらも事件の解決を助ける役回りで、主人公ちゃんとアドニスの残党と対峙する話。

本編もそうなのだが、シリアスと恋愛パートはほぼ8対2。謎解きや捜査パートはなかなかに面白く、少ない恋愛パートは二人の距離感に神様視点の我々が見ていていいのか焦るほど甘い。さらに言えば、夜の話もあるわけでそういった行為があったのであろう事もわかる人がほとんど。

その中で、この白石景之はそれがない! 一切ない!! あってキス! のみ!

それがリアルでよい。知識として持ってはいるだろうし、やりかたもわかってはいるだろうけれど、人と接することをしてこなかった彼が主人公ちゃんと手を合わせるだけで幸せを感じるのだ。それがすべて。

(余談ではあるが、岡崎ルートではそれがあってこそ彼を引き立たせている感もある。形のないものを信じることが難しいと何度も言っている彼が、形のあるものにこだわるのは良くわかる。だからこそ主人公ちゃんとの距離が近く、体を重ねることに安堵を感じるのだろうな)

 

白石さんを【嫌いじゃない】理由はそんなところ。

また、この主人公ちゃんには弟くんがいる。香月くんという子で、これがまたかわいい。個人的に弟属性がだいすきなのですきにならないわけがない。

もちろん血が繋がっているので、どうにかなることはないが、家族仲が良いと言えない状況で始まるので二人の仲を修復する話が埋め込まれているわけだ。デレる香月くんが見れる。ツンケンして罵詈雑言かけてくる香月くんに心を痛めるのがほとんどであるが、後半の香月くんのかわいさといったらまぁーない。

アンリミでは香月くんのスチルもあるので眼福もの。ありがたい。本当にかわいい。

主人公ちゃんの家族との確執の話も垣間見えるので、香月くんの話はなかなかに私は好みである。

 

現在、アンリミで主要人物は攻略終了し、なんとアドニスサイドの話ができるということでゆっくりプレイしているところ。首謀者が誰かも知っているので、こちらも辛い話になりそうかなと感じているところだが、どんな収束を見せてくれるのか楽しみでもある。

主要人物である攻略対象者たちにはキャラソンなるものがあるようなのを最近知って、サブスクがあるのをいいことに一日中聴いている。白石さんのしか聴いていない。切なくてだいすき。彼がどんな思いで主人公ちゃんと付き合っていっているのかを感じられるので、没入できる素晴らしい曲だなと思う。

最期はそちらを掲載して終わりにする。

久しぶりの乙女ゲームがこんなにも楽しい時間になったことに感謝! オススメとしてメールに載せてくれたことでここまで発展するとは思わなんだ。楽しい夏を過ごさせて頂いた。あともう少し、カラマリの世界観に浸らせてもらいたい。


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Little Love Song

Little Love Song

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 背中合わせなのが彼だけなのもエモい。

最高だぞ白石景之。ありがとう白石景之。嫌いじゃないぞ白石景之。

久しぶりに弟に会ったら、タトゥー入れたいってはじまってたらしい。

再び引っ越ししてから約一ヶ月? かな? ぐらいたったと思う。

一人暮らしの第二フェーズというわけだが、新しい場所というものは怖くもあるけどワクワクがだいぶ大きい。少し場所を移っただけで景色も、やり方も違うのが面白いよね。人の好き嫌いが激しいところもあるけど、なんとかできていたからここでもとりあえずは大丈夫。

 

とは言いつつ、実家はほど近い。電車に揺られて一時間たたないぐらいには最寄りの駅に着くと思われる。

なので、前と変わらず一ヶ月に一度くらいは家に帰ろうかなと思っている。

前まではなんとなくそう思っていたのだけど、今回GWということで前半は実家に帰ったのだが、はっきりとそう感じさせる一件があった。

 

自分には両親と弟がいる。この弟いうものが憎らしい時もあるにはあったが、大概の場合ほんとうに可愛いもので、あの有名なパワーパフガールズを作る材料にならなくてよかったなと思うぐらい可愛いものなのだ。

幼稚園児だった私は神様に、妹をくださいと毎日お風呂の時間に祈りを捧げ、そうして我が家にやってきたのは弟。彼が産まれたときは、妹ではないのなら燃えるごみの日に捨てろと言い捨て母を大変に驚かせたものだった。

それでも、一緒に過ごしてしまえば赤ちゃんというものが可愛く、何をするにも自分が自分がとやりたがったようで……。今となってはい思い出だ。(弟はどうか知らないが)

そんな彼だが、就職をしたものの、その仕事が自分が思っていたような仕事内容ではなかったこと、はたから見ても給料と照らし合わせて仕事量が多すぎることを理由に辞職した。その後は長い休養期間を経て、現在はアルバイトとして別の職に着いてる。

この不況の中、別の仕事が見つかってよかったと胸を撫でおろしていたところ、先日帰省した際に母から驚くべきことを聞かされた。

 

始まりは帰省した日の晩。

仕事から帰った弟は少し家事をするぐらいに変わっていた。前までは私以上に何もしない子だったので驚いたものだ。

しばらくしてから母も帰宅し、久しぶりにあれやこれやと話していた時、不意に弟が母に向けて無言で一枚の画像を見せた。狼の絵柄のようで、画面の反射でよく見えなかったが、母はすぐに理解したようで「ダメ」とはっきり断った。

おうおう何やら楽しそうな駆け引きをしているじゃないかと目配せをして、誰か理由を話したまえよと無言の圧をかけたところ、母が理由をザックリと口にした。

「タトゥーを入れたいんだって」

いやー! わかる! 自分も入れたいって思ってたんだよね! 今はもうそこまでではないし、処刑人を見てから同じように指に入れたいなーと思った不純な動機なので行動しなかったわけだが。その気持ちは大いにわかる。

処刑人 [DVD]

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この兄弟が最高なんだ。私は双子設定を生かしてほしいと思っているし、生かされていると思っているけど、この話は長くなるのでまたにして。

 

さすがに兄弟だけに好きなものがそこそこ似るようで、自分はラップを好んで聴くが、彼もラップとレゲエを愛しているよう。車を走らせると聴いている。

髪型も、そちら側に寄せたような雰囲気にしているし、私も好きなラッパーさんの髪型にしてお互いに好ましく感じている(と思う)。

そしてとうとうタトゥー!!

偏見があるわけではないし、入れるなら入れたらいいやんぐらいの気持ちなのだけれど、やはり相談されると考えてしまうところはある。

 

以下、自分の見解になるが、自分がタトゥーを結局しなかった理由にもなることを一応書いておこう。

まず一つは、彼は現在アルバイトであること。正式な職業ではないので、これからの職探しに妨げになるんじゃないかということである。そんなこと気にしない会社もあるかもしれないだろうし、わからない場所に入れるのであれば別にいいのでは? と思わなくもないが。

もう一つは、公共の施設に入れなくなること。これも、本人が将来どこにも行きません入りませんということであれば別にいいと思う。けれども、もし彼が結婚して子どものいる生活になったとしたら。一緒に行けるのは母親だけになってしまう。それすらも今はそれでいいと言うかもしれないだろうけど。

もう一つは、一生消えないということ。それが良い時もあるだろうけど、もし以上の件で消したくなった時、非常に大きな傷を残すことになるだろう。

そういうこと。

 

母と一緒になって弟へダメだと思う理由を伝えた。

逆に、弟は一体どんな理由でタトゥーをしたいと考えたのか聞いてみた。

 

その話の前に、少しだけ触れておきたいことがある。

私と弟の祖母の話だ。母方の祖母で、長い間おおきな家で一人暮らしをしていた。

とってもかわいいおばあちゃんで、丸くていつの間にか背が小さくなっていて何でか言うことやること面白いおばあちゃん。いつからか体が悪くて酸素を運びながら移動するようになって、ふくふくしていた体が細くなって、物忘れが多くなって。それでもだいすきだった。

その祖母が亡くなったのが私の初めての一人暮らし開始時期と重なる程度に近かった。

その頃、我が家ではなかなかに大変な時期があったのだが、その時期を目の前に過ごしていた弟は色々と考えることがあったのだろうと思う。(なので、彼が家事を自らこなすようなことにも繋がったのかなと思わなくもないが、詳細は分からない)

そういった多くの事が一度に押し寄せ、彼は家族のことを考えたと。

その彼がタトゥーとして入れたいのは狼である。

狼のタトゥーには意味があるそうで、それが「家族愛」であるという。

「おばあちゃんが死んで、こいつ(私だ)がいなくなって、まあ悲しかったし、そのあとの(伏せさせていただく)大変だったんだから」

……ええ!? そうなの!? そんなこと全然言わなかったのに! 私いなくなって寂しかったの!? 言ってよー!! タトゥーいれな!!!! という感じよね。ホントに。何この子。かわいくない? 他の誰よりかわいくない? こうしてブラコンって生成されていくんだよね。恐ろしさの片鱗を味わった。

 

我が兄弟は思っていることを口に出さないので、両親は本当に苦労したと思う。なので、こういったときに言われる言葉が酷く心に刺さることがある。

自分の場合はまさに今回がそうだったわけなのだ。この子はこの子なりに考えていることがあるんだなと、改めて分かったときだ。まあ、だからといってタトゥーを入れていいよという話にはならないわけだけれど。

ことあるごとに画像を見せては交渉しているようなので、今回は一旦ダメということで終了。今後どうなるか見ものである。(他人事)

 

前にも書いたかもしれないが、個人的にはタトゥーへの偏見はない。嫌悪感もないし、かっこいいとも思う。しかしやはり、将来のことを考えると勧めることはできなかった。愛を示すのは何もタトゥーだけではないのだし、もっと他に思いの伝え方はあるだろうし、忘れないようにするのなら何度でも思い返せばいいのだし。

今年は弟も母の日に何か欲しいものはないのかときいていたようで微笑ましくもあった。(きかれた母は、アルバイターに買ってもらわずともよいと返事をしたらしく、血も涙もねえなと思った)

表情に乏しく、言葉数も多い方ではないし、自分から動くのはコンビニに行く時くらいの彼だが、家族のことを考えて何か行動を移し始めているというのをほんのり感じられたのはとても嬉しい。

自分の場合、もし本当に「よっしゃタトゥー入れたろ」と思ったら、家族に相談する前にお店に走っている事だろう。自分の中でこうと決めたらそうなので、周りから何を言われても自分で考えて決めたのならそれに従う。母も同じことを言っていて笑った。

そこを、弟は家族に相談をしてから次のステップへと進んでいくのは本当に偉い子だなと思う。自分の中に迷いがあるから相談をするのだろうけど、きちんと周りの意見を聞いてそれを取り入れて考えることは私とは真逆だなと。

結局決めるのは自分だからと私は周りに相談するということをしてこなかった。するとしても、やりたいことをすると決めてから、それをどう進めていくかの相談だったりする(今回の引っ越しの理由もそうだ)。やってみなきゃわからないじゃん精神なので、それで失敗することもあっただろうが、とりあえず楽しく生きていけているので今の自分のままでいいとは思っている。

その一方で、実家住まいの弟は大きいことを相談せずにやってしまうと怒られてしまうという思いがあるので、やるまえに相談しないと嫌なのだろう。人が買ってきたアイスを断りもなく食べたり、いつのまにか喫煙者になっていたりということはあるので、それ以上に思えることはとりあえず相談したいのかな。他者のことってほんとにわからないこと多いよなー! 人って難しい! でも弟は本当にいい子。

 

私が一人暮らしを始めて、変わったことがたくさんあった。

一人でいるのにも慣れたし、新しい土地にも慣れていくんだろう。でも、やっぱり実家に帰ればそこは自分の家でもあると思うし、居心地が悪くなることもない。だけど、家族とのあり方というか、過ごし方というか、言葉のやりとりとか行動とか、そういったものが自分の中でも変わったなと思うし、家族から向けられるものも何か変わったなと思う。

距離ができると何か変わるとは思っていたけど、こうも感じるものなのかと。言葉にはうまくできないけど。だからといって、それがマイナスかというとそうでもないし、私にとっては今のところいい形だと感じている。

結婚できるかわからないけどしたいとは思うし、子どもができるかわからないし怖いけどいたらいいなとも思うし、そうやって何かが変わると家族との関係ってまた少しづつ変わっていくのかもしれないけど、今と変わらない心持ちのままいられたらいいな。

なので、もし弟が我々の考えを聞いたうえでタトゥーを入れたのだとしたら、私はうわかっこいいーって言おうと決めた。狼すきだし。

性格はそうやすやす変えられないだろうけど、弟のこれからの成長も楽しみ。

死のうと思ったことは幾度かあれども、本気でどうにかしようとなんて思っていなかったから今こうして生きているんだと思う。

毒々しい題名になってしまったけど、自分の中できっとこれが答え。

 

とある人の言葉がグサリと胸に刺さって、今も「かえし」が引っかかっているような錯覚を抱いているのでいつか書こうと思っていた話を書いていこうではないか。

何か長々と文章を書くときはお酒を片手に書くので、もれなく今回も(何度かに分けて書いているがいづれも)お酒の缶を傾けながらぽちぽちと文字を打つ。

 

 

最近巷を騒がせた死の話といえば、三浦春馬の死だろうと思う。(現時点では)

私自身、彼のことはそこまで大好き!という気持ちで見ていたわけではないが、売れっ子俳優であるし、名前を知らぬものはいないぐらいの知名度であったろうし、見ていたドラマにも出ているような人だったので衝撃は受けた。

「知っている人の死」というのは自分の中では結構重いものになるのだと感じられた事件でもあった。死を知ったその日はお腹のあたりがずっと重く、心なしか気持ちも沈んだように思う。

ここで更に時を戻そう。(ぺこぱ)

彼の前に私に衝撃を与えたものは、木村花の自殺であった。

お恥ずかしい話であるが、私は彼女の死の報道があるまで木村花という女性が存在していたことも知らなかった。何を生業にしていたのかも、有名なテレビ番組に出ていたことも。自殺の理由が本当に合っているのかは今となっては確認もできないが、もしそうだとしたならこんなに痛ましい話はない。

同じ職業であり先輩である人の怒りの言葉を見ると、心が震えた。

今でもふと思い出しては、自ら死を選ぶほどの境遇とはどんなものだったのだろうと思わずにはいられない。「知っている人の死」だけでも自分で驚くぐらいに重みを感じていたのに、その人と深い交流が、強い思いがあったとしたらいかほどだろうか……。

などと言ってみたが、実際に「お前の両親や兄弟が死んだなら」という質問には何も感じることができない。本当に不思議なのだが全くリアルに思い描くことができない。「そうはならない」と考えている自分がいるのだなと思う。

とりあえずその話は今は関係ないので置いといて……。

 

 

自ら死ぬことを考えるということは結構の人ができることだと思う。友人たちとのノリで「死にてぇwww」と言うのとは別に、現在置かれている自分の場所がつらくてここから脱出するためには消えるしかないな、という時に思い考える死。

でもそれを実行に移せるかどうか。

死ぬまでの経路って怖いと思う。よし死ぬか、と思ったら次はどうやって死ぬかを計画すると思うんだ。私はそうだった。

死ぬのは痛い。体に傷をつけなきゃ死ぬことができない。SNSで百合の花を大量に…という話を見たが、現実的ではないだろう。学生時分だったので金銭的にも無理があったので却下。(その後現在、扇風機のやり方を見かけたが眉唾では笑 詳しいやり方があるのかもしらんけど)

そうなると痛みを感じないよう一気に死ねるやり方がいいなと思うけれど、それもうまくいけばの話になるだろう? その仕方で亡くなった人に「どう? 痛み感じた?」とは訊けないし、自分で試してみて痛かったら嫌だし……。飛び降りも、飛び込みも、リスカや首つりや過剰摂取なんかも痛くて苦しくて、更には綺麗な死にざまにはならない。死ぬのに綺麗も汚いもあったものではないが、本気の死を考えなかった人間として見てほしい。

そこまで考えて、痛いの嫌だし死ぬのやめよう。と思う。

そうしてずるずる生きてきて、立派に成人し、今は社会の中に溶け込む元いじめられっ子となった。うわぁ! 一人最高! と踊り狂う幸せな人間にもなった。

死ぬと決めてそれを決行した人は、私たちなんかが思いもつかないほど何かに絶望し、何にも癒されず、相談もできず、小さなサインを送っていても誰も気が付かず(気が付かなかった事が悪いわけではない)、もうダメだと肩の力が抜けきってしまったのだろうな。

私は大人の人が自殺をする「理由」がわかっても、「はっきりとした理由」がわからない。想像力が乏しいので、この人はこの理由で亡くなったよと言われると、その理由を避けるための行動はしたのか、できない理由があったのか、相談は難しい状況だったのか……と考えてしまう。死ぬと決めて実行したのであれば、どれも試してダメだった可能性が大きいのだけど、諦めずに何か策を企てることはできなかったのか? と思ってしまうんだよな。

幸運なことに私は社会に出てからはいじめを受けることはなくなった。なので、大人の世界での自殺理由がすぐに思い浮かばない。概要がわかったとしても、できる限り抗ったのか? 今後の楽しみを考えられないくらい疲れてしまったのか? と探りを入れるような考えしかできないのだ。

 

 

中学の頃が一番酷かった。身体的ないじめはなかったと言って問題ないと思う。テレビでよくあるトイレで水をかぶせられるとか、教科書をばらまかれるとか、幾人かでふざけているように見えてその中にカーストがあるなど……そういったことはなかった。

精神的なことが多かったのだな。遠目から悪口や中傷の言葉を投げてみたり、私には身体的な特徴があるのでそのことで私にわかるように仲間内で笑い者にしてみたり、気が向いたら本人にキツイ言葉をかけてみたり、自分が次の標的にならないよう無視を決め込んだり……。みんな生き残ることに必死だった。

ここで先生に相談なんてして下手に名前を出されたりしてもまずいし、なんならクラスで話をされようものなら標的は自分一人なので密告がわかってしまう。更に思春期でもあったので絶賛反抗期な私は親にも良くは話さなかった。本当に小さなサインを何かしら送っていた気がするが、それにも気が付かれることなく過ぎていった。気づいてほしいのになぜ親にも小さなサインしか送れなのだろう。反抗期だったからかな……。

高校からは結構緩和された。同じ中学の子も結構いたけれど、友人が少し増えた。一年次は中学時代を引きずっていたけれど、二年に上がってからはなかなかに楽しい日を過ごしていたと思う。これは中学時のいじめの主犯がこの高校受験に失敗したこともあるだろう。もし合格していたら暗い学校生活が引き延ばされていた可能性がなきにしもあらずだ。

更に言えば、視野の広い子たちが多かったのも理由の一つだろう。いわゆる「学年でのカースト上位」の子たちが色んな種類の人間がいることを理解してた。これが結構大きい。中学は閉鎖的な村のようだった。長に意を唱えれば村八分にされるが如く爪はじきにされていたが、高校は色んな村から人を寄せ集めて新たなコロニーを作った感じ。まあそれでも遠目から石を投げてくる人はいたけれど、こんなもの中学の頃に比べればどうってことなかった。

あとは、高校に入って自分の世界が広がった。中学ではできなかったこと、行けなかった場所、お金がなかったから自分たちで工夫をして楽しむことが楽しかった。

とは言ったものの、やはり学校の中というのは学生の気持ちを大きくするようで、私は常に下層の方を生きて来た。中学のようにいじめられたわけでもないが、似たような何かを感じずにはいられなかった。捉え方によるとか、思い過ごしとか、外野から何か言われたとしても「お前に何がわかる」とはねつける強い気持ちがある。私は高校でも下層にいた。

けれど、その下層の私にも声をかけてくれ、話をしてくれ、共に何かを楽しんでくれる者がいたことが救いになった。だからこうして今生きているわけなのだ。

だから、学生でいじめを受けていて、耐えられなくなって死ぬことを選んでしまった子たちのニュースを見聞きする度に、自分が年をとった時のことを考えてみてほしいなと毎回思ってしまう。自分自身がそうなのだけれど、よく老人になった時の自分を想像する。

 

 

「死」に興味があるので、その手前に当たる老年期を想像してしまうのだけれど、自分がおじいちゃん・おばあちゃんになった時って「あの頃は……」って懐かしい話をし始めて、笑い話になってるんだろうなって思うんだよ。

体が動くときは旅行なんか行ったりさ、家でのんびり音楽とか聴きながら本を読んだり、結婚してれば伴侶もいるだろうし、二人が望めば子どももいたり孫もいたりするかもしれない。そういうことを考えるとなんだか勝手に楽しくなってきて、将来に希望なんかでてきたりして。だから生きることやめらんねぇなって思う。

こういったように、楽しいを感じられなくなると人って生きていられなくなるのかな。

「嫌なこと」ばかりがリアルになって、周りに気持ちが乗らなくなって、人に相談しても現実がなにも変わらないって思ったり、そもそも中学時代の私のようにそのことすら放棄してしまったり。

三浦春馬氏や芦名星氏(書き始め初期から結構時期が空いたな)がどういった経緯なのかは知らないが、木村花氏は学校に似たようなものを感じる。

顔が見えないことの気持ちの肥大によって阿呆な番組(私個人の思いだ)にノせられた視聴者たちの心ない言葉によってどれほど心が痛んだか。彼女のアカウントを見るたびにつらくなる。(亡くなった後に申し訳ないが何度か拝見させて頂いている。現在もだ。)

Twitterがよく例にあげられるとは思うが、最近よく使用しているのだけれどYouTubeもなかなかだなと思うこともある。YouTuberの動画を見たり曲を聴きながら作業したりするのだが、何か一言書き込んだ者に対して誹謗中傷のような言葉が投げかけられているのを見ると恐怖を感じる。その動画に対するポジティブな感想に同意したり、秀逸な言葉のセンスに笑ったりするのが好きなので流すように読んでいるので、あまりしっかりと読み込むことはないのだけども……。

今、つい先ほど目にしたのは、自分はいじめられているのでこの曲に勇気をもらえたといったような内容のコメントに対し、それは嘘だろう自分はかまってちゃんが嫌いなのだという旨を書いた返事。

いや、それを彼・彼女に伝えなければならない理由はなにか?

言葉の数だけぶん殴ってやりたい。どのような環境で育ったらこんな考えができる? この一言を苦にして死んだとしたらお前は何をして償うのだ? こんなことで死んだのかと笑う奴なのだろうか。良心などないのだろうか。

心ないことを言った者に、心ないことを言い返すと、それではいじめた側と同じですよ。と言われることもある。確かに一理ある。しかしそいつらがのうのうと何にも縛られることなく同じことを繰り返すかもしれないんだぞ。それはどうなんだ。うわー死んだわ(笑)で終わってしまう心の持ち主だとしたらどうなんだ。

いじめを受けていた当時、いじめていた奴らは全員死ねという気持ちでいたが今はそうは思わない。ただその人の未来が笑えないものであることを願っている。

自分が加害者側と同じことをしてしまいそうだなと思った時(今回の場合は、加害者に同じような誹謗中傷の言葉をかけてしまいそうになった時)は、そんな風に思って、被害者の方にポジティブな言葉をかけてあげてほしいなと。悪口で埋まる返信よりも自分を鼓舞してくれる言葉が多い方が自分は嬉しいなと思うので。

……当事者がどう感じるかはわからないので、一概には言えないけども。

 

 

自ら死を選ぶということは、自然に任せていれば起きないこと。人の介入があり、自分が痛めつけられることによって自殺をしようという考えが生まれるのだと思う。

そこでどう踏みとどまれるかというのは、被害者の強い心持ちも大事だし、周りの人との関りも大事。私だって自分一人ではここまでこれなかったなと今ではちゃんとわかる。両親はいつだって子どもの味方だし、私の理想の老後の基盤を過ごすしたばあちゃんはいつだって優しかったし、人数は少ないが今の私と仲良くしてくれる人もいる。そういう繋がりが大事。

学生時はそんな話を見ると、今でいう「草」という気持ちになっていたが、結局はここに落ち着く。大きくなるにつれわかるのだから、学生時とは残酷だなぁ……。

いや、高校で少し緩和されたわけだけれど、大学に入っても中学を生きている人が何人かいたので学生時だけとは限らないわけか。そういう人たちが年齢だけご立派になられていくわけだから、いくつになっても心に傷を負う人がいるわけだね。

それぞれ直面する年代が違うというだけの話かもしれない。

ひっそりとした夢があって、夕方くらいから夜中にかけて開くようなお店が欲しいなとずっと思っていて、オシャレ全開!というようなのでなく、自分の時間がもてるようなところがいいなとか。そんなもの近場にないわけで、じゃあ作っちゃえばいいじゃんと思った次第。

言うだけはタダだし、これもまた一人じゃできないことなので、ちょっとずつやっていこうかな。幸運なことに職場にいた人が自分でお店出すと言ってやめた方がいるのでその人にちょっと聞いてみよう。

とっても運が良くて、この夢を追いかけることを飽きなかったら自分と同じような境遇で生きている人たちが他人を感じられる場所を作れたらいいな。

などと飲兵衛が言っております。

なんでもまずはやってみようぜ。