身辺で恋愛事のあれこれが急加速度的に広まっていき、思うところが大きくなってきたので書く。

一人暮らしを始めてからはや数ヶ月。

本当に楽しすぎる。

一人とか絶対に寂しいの目に見えてるからね。虫も怖いし、お隣とのいざこざも怖いし無理無理。とか思っていたあの頃の自分どこに行ってしまったんや……というくらいずっと楽しい。音楽と本と少しの映画とアニメがあれば、自分生きていけるんだなとわかった。あとゲーム。

 

前置きはそれぐらいにしておいて。

次に記事書くのは半年後くらいで、一人暮らしをして自分の中身が変わってきているのかどうかを考えてみよう! と思っていたのに、その前に色々と考えてしまった事柄が出て来たのでそれについて書きだそうかなと。

まず、私の友人が結婚した(同じくして社内の人間も結婚)。更にもう一人の友人が妊娠した。そして極めつけに社内の人間がこれまた結婚した。彼ないし彼女は最近結婚報告したもので、コロナ婚だと笑っていた。正直苦手な人なので突っ込んだ話はしていないが、指輪に日付を刻んでしまったので日程をずらすことはできなかったと言っていた。結婚に詳しくはないので「そうなのか」ぐらいに思っていたが、個々人の気持ちの問題なのではないのかと思わずにはいられなかった。

だがまあ面倒なので「そうなのか」と表面上に思ったことを口にしただけに留まった。

短いスパンでこれだけのことがポンポンと引き起り、噂の結婚ラッシュとはこのことか……なんてDOTAMAさんのモーニングラッシュを聴きながら思っていたのだが、いや凄いものだなと。

そこまで友人が多くはないのだが、「愛」というものに考えを巡らせる時がとうとう自分にも回ってきたのか……と感じる量だった。個人的には。

愛とはいっても今回は恋愛特化なもので、今まであまり考えてこなかったことなんだよなぁ……。自分が実際に恋愛をすると人が変わってしまうのを知っているので、苦手意識もあるけれども、好きになってしまったのだから仕方ないというもう一人の自分もいる。

まあ、そこらの反省や今後の教訓として書いてみるのもいいか。ね。

 

年齢が年齢になってきただけあって、恋愛=結婚と結び付けて考えることが多くなった。実際、結婚がゴールではないし、恋愛が好きなだけなら恋愛だけしていれば良いと思う。因みに結婚=子孫という考えも得意ではないのだけれど、私の母はたまにこれを口にする。(自分の子どもが人対象ではない恋愛観をもっていたらどうしていたのだろう……)

現在の私には恋愛をすると結婚という視野がもれなく付いてくるので、初期の頃は楽しく過ごせたとしても、その後の展開に思いを馳せることが多くなるので一気に面倒な気持ちになる。

恋愛は「相手と一緒にいる」ことになる。

私の価値観がおかしいのかわからないが、好きだ付き合ってください、とは変な話だなと思う。もちろんピュアピュアな学生ちゃん時代は素敵! なぁんて思っていたが、何をもってして「すき」で何をもってして「付き合う」となるのだろう?

一目ぼれのすき。いいとしよう。他、乏しい頭の私は、仲を深めていった後にすきになるという事しか知らない。出会って初めましてをして、その後何がきっかけかはわからないが話をするようになって、お互い時間が合えばどこかで落ち合ったりご飯に行ったり出かけたり……そこで始めて「ああすきなんだな」と思うのではないのか?

そうすると、その過程が「いま付き合ってるな」ということにはならないか? わざわざ言葉になぞせずとも、二人で一緒にいることで既に関係は確立されているのでは?

いやでもそうは言ってもさ、自分はその気だけど相手がどう思ってんのかはわかんないじゃん? 自分だけ浮かれてたら恥ずかしいしさ。

いーーーーーやそれもおかしな話では?

二人でって言ってるのに大人数と一緒でそう考えている人はバカだけども、だって二人きりなんだぞ? すきでもない奴と二人で話したりどこか行ったりするのか? 少なからず気があるから一緒に行くんだろう。そこからの発展は神のみぞ知るところではあるが、二人きりの時間を承知してくれたのであれば、それは「すきである可能性が今はある」ということに他ならないのでは。その後、誘いもなければ誘いに乗りもしないのであれば脈なしだったとスッパリ諦めれば良いだけの話。

考えるな、感じろ……。当たって砕けろ。今の自分にピッタリだなホント。そういう相手がいるわけじゃないんだけど。

で、その関係が上手くいけば「付き合っている」という状態が続くわけになる。

先程の踏襲になるが、初めはちょっとした会話から始まって、その後はどこか出かけたりご飯へ行ったりお互いの家に行ったりなんてするのだろう。会う時間も数時間だったのが半日になり一日になり、しまいには宿泊もざらではなくなるかもしれない。そうなると、自分のものだった時間が相手との時間に変質する。

ああ今すごく面白いところなのに小説の続きが読めない。この音楽イヤホンして爆音で聴きたいのになぁ。一人で見たい映画だってあるのに部屋に入って来ちゃうんだよな。え? お風呂? ちょ、ちょっと待ってよあと少しでセーブポイントあるから! 今ボス戦だから!! あーーーもう!! 自分一人だけになれるお城が欲しい!!! って絶対思うの。誰が相手でも。

拙者、現在一人暮らし大満喫中の身……わがままに拍車がかかってきてしまっているのやもしれぬ……。それを踏まえてもよ、自分ともう一人誰かがいる空間というものは当たり前だけれど自分だけのものじゃないので、性格というか生活のリズムというか……いや、でもこれって相手への思いやり? 価値観の違い? ……まあいいとして。

 だから、今までの自分の時間を相手にあげても苦ではないと思える相手に出会えるのって凄いなと思うわけ。ということを呟いたら友人から「趣味が互いにあれば放っておいてくれる時間がある」と言われた。確かに。また「同じであれば共有もできる」と。うんうん、それは前は思っていた。

今の私個人としては趣味は同じでなくても良い(インドアなのでインドア趣味だし、なんならインドアだから人と出会うことも少ないし、インドア恋愛に向いてない結論)。好きなものは一人で楽しむのが好きだし、布教するときは趣味が同じの友人に話すし、愛を叫ぶだけならツイッターにすぐ書き込むので誰かと共有したい! という強い気持ちは沸き上がらない。

趣味があれば放っておいてくれるかどうかというのは、もうこれは人によるんだよなあ。楽しいから二人でも共有したいと思う人もいるわけではないですか。いやわかるよ、私も友人たちと映画みてワーワー言いたいときもあるしさ。でもそれが距離の近い人、ましてや同じ空間に常にいる人となるともう。これは家族との話になるが、私が小説を読んでいるときにテレビで面白い事をやっているから見てほしいと頻りに腕や肩を叩かれるのだ。これが凄く嫌い。

楽しいを共有したいと思ってくれているのはわかる。けど、テレビよりも今は面白いと感じることが他にあるのであって、毎回この説明をするのも面倒だし好きなことを遮られるとイラっとしてしまう。日本沈没とか某製薬会社が開発したTウイルス散布とかの非常事態であればすぐにでも教えて頂きたいのだが、それ以外であれば興味があれば顔を上げて一緒に見るから、同じ空間にいるというだけで満足感をもって頂けないだろうか? と思ってしまうのである。

まーこういうことを考えてしまうので、恋愛めんどくせぇなと思ってしまうもう一人の自分もいるわけなのだが、恋愛が楽しいことも重々承知しているので、世の中のうまくいっている人たちを見ていると本当にすごいなぁと思う。同じ時間を一緒に送ると、相手の今まで見えてこなかった部分も見えてくるし、コンプレックスも曝け出さなければならない負もあるし……。

そう、コンプレックス。

 

コンプレックス。お前のせいでどれだけ世の中生きづらくなってるかわかってんのか? 天は二物を与えずと言うが、与えないだけじゃ飽き足らずなぜマイナス方面を多く我が身に付随したんだ? ただでさえ世界世知辛いんだからもっと優しくしてくれても良いんじゃないのコンプレックス。

誰しもが持っているであろうコンプレックス。お金で解決できるものもあるだろうし、それじゃまかり通らないものもあるだろうとは思う。自分のコンプレックスは、たぶんお金で解決できることなのだろうけれども、お金で解決できない嫌悪感を持っているので結局解決できずに終わっている。だとしても、緩和できるようにあれこれ試しているので今後に期待でもあるが長い年月かかる。

書いていても嫌になるが、コイツらのおかげでまじで恋愛しにくい。自分は。

好きになることはできる。けれどもその先に進むとなるとコンプレックス発動。運よくそれを気にしない人に出会うこともできたので良い人もいるもんだなぁと思っていたが、まあ嫌な人が大多数だろう。

とまあ、コンプレックスの話はどうしても暗くなるし夜中にふと思い出して鬱々と考えを巡らせるのがお似合いな話なのだけれど……。人と関わる話をする時には絶対に引き合いに出されること間違いなしだと思っているので、考えざるを得ないわけで。

コンプレックスって、自分の中で感じる負の部分みたいな雰囲気だなぁと思っているのだけれど、同じような悩みを抱える人っているじゃない。でも、それに対しての価値が違うというか、悩みに対する重さが違うというか。私は人に相談というものをほとんどしないのだけれど(調べたりはするが、決定打は結局自分の中にあるので他の人にわざわざ言わない。その後を聞かれるのも嫌なので)、生きてきた中で話題にしなければならないことがあって……

「私もそうだよーでも大丈夫大丈夫、私もどうにかなったから」

と根拠のない説得をしてくる人間はなんなのだ。大丈夫じゃないからコンプレックスに感じてるんだろうが一緒にすんな。というのが正直な気持ち。同時に、この人は自分よりも軽いものなんだろうなと思う。そこまで酷くはない症状なのか、もしくはそれよりも自分では気になる部分があるのか、はたまた金で解決できたのか。性格の悪い私はすぐに「どうやってどうにかなったの」と食い気味に聞くのだけど、時がどうにかしてくれるというものと、お金の力でどうにかしたというのが一般的なので、やはりそれしかないのか……。

普通にしていれば、そこまで他人の目に触れることはないのだろうかもしれないが、一緒にいる時間が長くなれば長くなるほどその部分は明るみにでるわけだし、同居なんてしようものなら常に晒される恐怖がある。まあ、その時点では相手にも知られているだろうからそこまで恐ろしさはないのかな。

何にしろ「相手に知られることが怖い」部分を受け入れてくれるというのは強い。それでも好きで、それでも一緒にいたいと思えることが強い。

最近になって買い始めたマンガ(ウン十億年ぶりくらいに恋愛もののマンガなんぞ買ってしまったわけだが)を読んで更に思いが深まったのだけれど、ああこれこれ! と思う場面が多くてコンプレックス自体が同じなわけではないけど、やっぱりモノが違うだけで思うところは同じなのだなとわかって少し嬉しかったり。このマンガが売れているということは、そういう思いに同調して買う人がいるわけだし。うんうん。

今まで積み上げてきたものが、自分のコンプレックスを受け入れてもらう事ができずに結局ダメになってしまうのはやっぱりつらいし、こんなんだから私は誰からも愛されないんだなと結論付けてしまう事が怖いね。わかってはいるんだけどね。コンプレックスを受け入れるって本当に難しい。こんなのなければっていつも考えるんだよね。

それが別れる原因かと問われたらそうでもないのが笑える。結局自分で思ってるだけかよ、みたいな。

 

思ったことだけをだらだら書くのって楽しいな。日付跨ぐと内容忘れちゃうけどな。

私は「死」について考えることの方が好きなので気が付くと「あ、今死の事考えてたな」と思うときが多いし、それはたぶん幼少期からお葬式の数が多かった事もあると思う。曾祖母から始まって、祖父母の兄弟だったり祖父母自身だったり……前年はとうとう一番大好きだった祖母が亡くなってしまって寂しい思いをした。

こう、普通とはかけ離れた世界観を醸し出しているものに対してはすぐに反応できるし、なぜ自分はそう思うんだ? と自問自答して楽しむ事ができるのだけれど、「愛」はあまりにも身近過ぎたし、なんなら「恋愛」は周囲には溢れ返っていたが自分には程遠いものだと思ってもいた。「好きな人」という存在はいたがそれは小学生時代の時だし、中学は触れたくないし、高校は「好きな人」はいたものの今となってはどこにそこまで惹かれていたのかわからない始末。でもだからこそよかったのだろうなと思う。

それが無駄とは思わないし、下手に拗らせもせずに当たって砕けたらクッキーの粉を払うようにして、じゃあ仕方ないねと諦められるのは強みだなとも。だからといって気になる人がすぐにできるかと言えばそうではないし、相手がどう思うかは別次元だし。

……一人暮らしすっげー楽しいもんな。という結論に至る。

いやー! ね!? 出会いがないんだよ! 社会人おい社会人。どこで出会うんだよだって。会社と家の往復しかしないよ。出かける範囲も決まってるし、一人で行く場所もだいたい一緒なんだよな! ほぼ毎日代わり映えしない顔たちじゃない? 社内でどうかって? 年齢層高いのはいいんだよ別に好きになるのに関係ないからさ。お話しするじゃん? あ、すきかも。って思うじゃん? 結婚してんだよねー。いやその年ならそうよねー! となること間違いないから。

なんだろ、理想高いの? 私理想高いかな!? 収入がいくらでー背はこのくらいあってー顔は誰似でーお腹は出てない人が良いしー……とか言った覚えないけど? それ以外でも理想高いとかあんの?

見た目とかは特に気にはしないんですよ。清潔であれ。とは思うけど、一昔前のオタクみたいな絵面の人って今日日見ないでしょ。体系は自分細い奴には絶対的に好かれないんですよ。細っこいのってたぶん今どきの子だからさ。今どきの子には好かれない自信しかないんですよ。万々歳ですが、私は中肉から上が好き。お腹なんて出てて構わないし、二の腕ふにふにしててもありがたいし、背丈なんて大きくても小さくてもどっちでもよくない?

中身、こればっかりは一緒に時間を過ごしてみないとわからないわけなんだけど……そこまで酷い人いるんかな。束縛する人は嫌いです自由人なので。暴力振るう人も嫌いですそういう趣味はないので。とか当たり前のことしか出てこないんだけど……。

あー、でも最近気が付いたのはトイレの蓋閉めない人ダメ。我が家はみんな閉めていた。父も弟も。だから当たり前になってしまったのかなぁ。他のお家ではそうではないのだろうか。公衆トイレとかは触れたくない心理もわかるのでとやかく言うつもりは毛頭ないのだが、我が家ぞ? 汚いと思うなら掃除すれば? 蓋閉める体力も残されていないんか?

あとはご飯の食べ方とか。自分自身もマナーがなっているとは言えたものではないので、お箸の持ち方がどうこうとか、食べる時の肘の置き場とか足の置き場とか、取り分け用の箸を使わないとか、そういうことは良いんですよ。歯周病の人は取り分けの箸使ってください。物食べてる時の咀嚼音、どうですか。わかる、わかるよ、うっかりしちゃうのは仕方ないよ。だってモグモグしてるんだもの、開閉すれば音は鳴るさ。しかしだよ、わざわざ咀嚼する時にも口を開ける必要性はあるのか? 口いっぱいで何かを話すのか? 口から空気取り込まなければ死ぬのか?

 貧乏ゆすりする人もあんまり好きじゃないし、先にも書いたが束縛も嫌い。でも束縛は人それぞれ範囲が違うのかな。自分で言うのもなんですが私はとっても優しいので、相手が変化を望むのであれば多少の我慢をしてしまうんですよ。この性格を直したいと思っているから頑張りたいと言われれば、じゃあ今度はこういう工夫をしてみるからと提案するし、実行に移すし、まあでも社会に出ていればお酒の席もある(弊社はそこまで強制はないので断ることもできるが、自分で行きたいものだってある)。でもよ? 「頑張る」と言った手前その頑張りを全く見せずにいつもと同じように怒って、やれ誰と行ったんだ、連絡先知ってるんだろ、メールアドレス複数あるのは他の奴と連絡するためだろ(携帯会社のとクラウドとGメール)、自分はこんなに尽くしてるのにお前は何なんだ、死ねブスデブ等々。

これが私より年上の人間がすることか? 一桁台じゃないんだぞ? 「ありえない、なんてことはありえない」って最近【鋼の錬金術師】読んで出てきて胸震えたけど、こんなありえない体験したくなかったわ。

鋼の錬金術師全27巻 完結セット (ガンガンコミックス)

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  • 作者:荒川 弘
  • 発売日: 2010/12/15
  • メディア: コミック
 

 (最高なので持ってない人は是非買ってね。人生の教科書だよ。)

私は頭がいい人(勉強ができるとかではなく)がすきなのだけれど、その真逆にいるような人だったな。とかいつの間にか過去の人間の話になっているわけだけど。

こういう嫌いなものが一緒の人とであればたぶん仲良くできると思うので、今ここまで見ててあーわかるわかるとなった人は仲良くしたい。好きな人ってどんな人? と聞かれるとたくさんありすぎて答えが纏まらなくなるので、とりあえず嫌いな人像を聞いておけばスムーズだなと思うのだけれど……どうでしょう。

 

久々にワーっと書いて楽しかったな。

結果、赤の他人と同じ屋根の下長い時間一緒にいて苦じゃないというのは素晴らしい。コンプレックス含め自分のことを好きでいてくれる人は大事。自分と嫌いなものが一緒の人と仲良くなりたいが、まずインドアは相手ができない。マスタング大佐めちゃくちゃ好きなんだが、アームストロング姉弟が大好き。というお話でした。

で、結局恋愛したいのかしたくないのかどっちなんだと自己問答したりするのだけど、できることならしたいけれども困窮しているわけではないんだよ。周りが一斉に動くと確かに焦りは感じる。卑しいことにやはり人間なので、自分と周りを比較してしまう。そんな時に、エマ・ワトソンちゃんの「セルフパートナー」の言葉を思い出して一息つく。彼女本当に頭がよくてとっても素敵な女の子だなと思うし、こんな子がお相手なら毎日楽しいんじゃないのかなとも思うけれど想像だからね。そんな素敵女の子でも感じることは同じのようで、当記事を読んだときは胸が熱くなった。本当にどこまでもかわいい……。

とりあえず、セルフパートナー人生を楽しみながら、もし何かが自分の中で起こればこれ幸いと捨て身タックルをかまして、上手くいけば一緒の時間を過ごすし、脈がないと判断すればお得意のクッキー屑払いでセルフパートナーの時間を楽しむ。これでいいのでは。こればかりは一人じゃどうすることもできないのだからねぇ。

今日も楽しかったなー、で一日を終えることができるような毎日にしたい。

なぜ一人暮らしをするのかよく聞かれたので、自分が何を思い考えていたのか探ってみた。

一人暮らし、してみたいなとはずっと思ってはいた。

思ってはいたけれど踏み込まなかった。それはたぶん、親の力を借りて生きていたかったから。というとすねかじりのように聞こえるけど、まあ間違ってはいないかなとも。親がいると、自分でやることなんてないから。全部やってくれるから。

親の庇護下で生きてきた私はなかなかそこから動こうとしなかった。

ぬくぬくとその中で育った私が急に一人暮らしに踏み込んで、周囲の人ももちろん家族も驚いていたし、自分でも驚いた。「どうしたの急に」「なんで一人暮らし始めようとしたの」みんなにきかれた。

「いや、わかんないっす」というのが正直な答えなのだけど、みんな納得はしてくれないだろうから適当な理由を答えておいた。理由の一端にはなるであろうことなので嘘はついていない。ポリシーに反するので。

そんなわけで、自分の気持ちにも考えにも直ぐにピンとこない私なので、今回じっくり考えてみた。一人になりたい瞬間は覚えているので、そこから色々と手探りで(こじつけのようだが)理由に漕ぎ着くことができたように思う。

今後、一人になった時に思い返せるように今の感覚を残しておこうと思う。

 

一人暮らしをしようと思ったのは、一人になりたかったから。

実家にはもちろん一人部屋はある。ドアを閉めてそこに閉じこもることもできる。けど、限界はある。母親は家族の時間を大切にしたい人であるので、あまり一人で部屋にこもることをよく思っていない節があった。それは私もわかる。ので、日中はできるだけ部屋の扉を閉めないことにしていた。

そうすると、(我が家は一階のみなので)廊下から部屋の中を見ることができる。更に言えば、身を乗り出して部屋の中に干渉することもできる。それがきつかった。私の部屋は私だけのものであって、ゲームをしたり、本を読んだり、映画を見たり、そうしたことは「ひとり」でやりたいので少しでも見られているとわかると凄く嫌な気持ちになった。何もやましいことはしていないけれど、監視下に置かれている状況のようでつらいなと感じるのだ。完璧な一人というのは難しいけれど、ちらちらと窺われているとわかると落ち着かない。

更に言えば、部屋の中にあまり入って欲しくない。先にも言った通り「私の部屋」というスペースなので、他に人が入る隙間はないのである。それでも、何かしらの理由で入ってくることはある。お恥ずかしながら、私はすねかじりだ。ゴミ集めは父が行なっているので部屋に入ってきて私の部屋で出たゴミを収集する。やってもらっている身で何を言っているのかと思うが、それが嫌だった。「見られている」ということがわかるからだ。

なんなら父は文句を言いながらも全て自分でやろうとする。食器洗いや洗濯や風呂掃除等……こちらの時間配分もあるし、今やっていることを終えてからやろうという場合もあるだろうがそんなことはお構い無し。主婦からしたらとてもいい旦那に感じるのかもしれない。私も思う。けれど何に対しても一言多いのである。何かしら文句のような一言を付け加えてこなすのだ。そうなると母も怒りのボルテージが高まる。あとで自分でやるよと言っているにも関わらず、父自ら進んでやっておいてなぜ小言を言われなければならないのか。それを感じる私も次第に心が荒んでいくのである。覚えなくてもいいはずの怒りをなぜ覚え始めなくてはならないのか……。

甘やかされすぎて育ったのでやってもらうのが当たり前と思ってしまうのが怖く、まだこの考えがあるうちに家を出ようと思ったことも理由の一つである。

 

ここまでは理不尽だけれど彼らの子どもゆえに感じること。(本当に理不尽な理由で自分が怖い)

以下は私の超個人的な恐怖というか嫌悪の話。

 

まず、私は人に触られることが苦手であるということ。接触恐怖症までは全くいかない。そちら方面の人からしたら「お前なんて全然」と一蹴されてしまうだろう。電車も乗れるし、なんならライブ会場だって行っているし、同性の友人であればハグだってなんのその。

でも、気持ちが悪いと思う瞬間もある。それは、過去に性的なことで嫌な思いをしたことが大きいなと思っている。小学生時から今まで、ふと思い出したようにそういったことに巻き込まれるので、恐ろしさが前のめりにでてしまって未だに声を大にして助けを求めた試しがない。その抑圧かなんなのかは不明だが、特に異性との距離が近いと急に不安になる。とは言いつつも、満員電車にも乗れているのでそこまで深刻ではないのだろうけど、嫌な気持ちはそこらの人間より少し上だろう。

それは自分の親に向かってもあった。

母はもともとボディタッチが多い人で、会社での友人たちとの話を再現する時に私の体を触ったり掴んだり、酔った時には叩いたり、私が寝転がって本を読んでいると背中を叩いたり。(ラジバンダリ)

それすら嫌な気持ちになっていたわけだけれど、父は父なりに気を使ってくれていた。けれどそれがダメだった。

我が家は洗面台と脱衣所が同じ場所なのだが、私がお風呂に入るため脱衣所にいるときは父は様子を窺って入ってこない。子どもに気を使って、外で待ってくれているのだろうことは私もわかる。けれど、それ以上に脱衣所近くの廊下に留まって中の様子を音で窺うという行為事態がもう……むり……という。本当にもうしわけないのだけれど、気持ちが悪いと思ってしまう。

映画やドラマやAVじゃないのだから親子以上の何があるのかと思うかもしれないが、全く本当に父が子どもの裸体を見たからといって何が起こるとも私は思っているわけではないが、それとこれとは違う。そう思っていようが考える事をやめる事もできない。本当に嫌な子どもに育ってしまったなと思う。

なぜそんなことを考えてしまうのか。理由はもう一つある。

話しにくいことだが、私は小さい頃に両親の情事の現場に居合わせてしまったことがある。実際に見たわけではない。両親が無理やり見せたわけでもない。要因は、私が夜中にトイレに行きたくなってしまったが一人で行かなかったことと、小さかったのでベッドルームが母と一緒だったことと、その行為の意味を知ってしまった年齢ではあったこと。小さい頃から知識欲的なものが強かったことが仇となったのか……(かっこよくしめたい)。

小さい時(小さいとは具体的にいくつぐらいなのかわからないが、いくつになっても変わらないのではと思うが)に自身の親の性交を見てしまうことは大きなトラウマになりかねない。今回の自分がそれに値するのかはわからないけれども、そこそこ似たような傾向なのではないかなと。とは言いつつ、その行為で私たちは生まれてくるわけだし、悪いことではないので咎めることはしないけど。

両親に向かって色々と言ってきたが、嫌いなことなどない。だいすきだし、ここまで私を育ててくれて、これからも親子としての縁は切れることはないのだし、いつまでも彼・彼女らは特別な存在であり続ける。

 

そして忘れてはいけない私の「兄弟」。こいつがまた厄介なりつつある。

すきですきで、目に入れても痛くないというのはこういうことを言うのだろうなと思うほどだった。それが今では仕事を辞めて職探しをするわけでもなく、日がな一日家で何をしているのかゴロゴロ過ごし、夜は誰とどこで何をしているのか帰らないこともあり、匂いが嫌いだと豪語していたタバコを吸い始め部屋の中を煙で充満させ、やるべきこともやらず今後どうするのか何も考えていないことうけあい。

なぜ、こんなことに? 私は心配だよ……。しかし、こちらから何か言おうものなら自分の部屋へ逃げてしまうか、イヤホンで塞いでしまうので気力も失せる。

これが最後の理由になる。自分はこれも嫌なのではと気がついたのが一番最後でもある。

はじめに就職した先が結構なブラックのように見えていたので、そこを退社したのは良い選択だと思う。その後、しばらく遊ぶことも良いと思った。数ヶ月抑圧された分、楽しいことへ心血を注ぐことも大事だろう。それが長い。長すぎる。そろそろ職探しを真剣に始める頃合いではないのかと思い始め伝えるが、言った通り聞く耳をもたない。面倒くさいという理由で全てを無にする奴なのだ。面倒くさがりな私よりタチが悪い面倒くさがりだ。仕事をやめてもしばらくお金をもらえる制度があるよと教えてもらったにも関わらず動かない時には、さすがに私も呆れて物を言う事を諦めた。

もちろん両親も口を酸っぱくしているのだが、本人に動く意思がないのだから何を言っても無駄なわけで……。本当のすねかじり登場である!!(笑うとこ)

とりあえずは貯金を切り崩して遊び呆けているわけなので、お金が尽きる頃にどんな行動を取るのか最近案じるようになってきた。稲川淳二ばりに怖いなぁ、怖いなぁと思っているわけだけれども、それまでに何かで危機を感じてほしいなと思わずにはいられない。

そんな「兄弟」への思いが蓄積されてなぜか私のストレスになっているようで。なにかと体への不調が多くなってきてしまい(このほかにも家族とは別で束縛の強い環境下に置かれていたこともあるとは思うのだが、その難はなくなったので)、この子のそばにいるのをやめてみようと思った次第。

もう少し他の理由をつけると、父と「兄弟」の自慰的場面にも出くわしたことがあり、父の場合は彼の気の緩みというか彼に個人的部屋がないので可哀想なのではあるけれども……。「兄弟」は個別に部屋が与えられているにも関わらず人の集う場所でコソコソしていた訳で。その行為自体が嫌なわけではないし、やめろということもないけれど(女の子だってするのだろうし)、少し場所を弁えてくれよという話。

 

以上が理由ではないかなと思っている。

合ってるかどうかはわからん。知らんけど、というやつ。

でもまぁ、もしそうだったとしても家族がすきなことには変わりないし、こんな年齢になるまでお家に置いてくれてありがとうという思いがとても強い。ほんっとうに甘やかされて育ったと思うので、これからの一人暮らし不安しかないけど、たぶんどうにかなるとは思うし戻ったらまた同じことでモヤモヤ考えることになると思うからね。だからこの理由を文字に書き起こしているわけだし。大丈夫。

この他にも理由がありそうな気がしているのだけれど、きっとそれは小さなことが色々積み重なってモヤッとするものだから、大きい理由にはならないと……思われる……。塵も積もれば……とは言うけれど、そんなの一緒にいればいくらでも出てくることだしキリがないものね。と言えるぐらいにはなっていると信じているので(思春期真っ盛りとはさよならだ)、割り切れていることと思う。